阿智神社 (前宮)
あちじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】阿智神社 信濃国 伊那郡鎮座
          (奥宮)阿智神社 (奥宮)

   【現社名】阿智神社 (前宮)
   【住所】長野県下伊那郡阿智村智里前宮山 489
       北緯35度27分27秒,東経137度42分57秒
   【祭神】天八意思兼命 天表春命 (配祀)建御名方命 大山咋命
   【例祭】10月14日 例祭
   【社格】
   【由緒】由緒不詳

   【関係氏族】阿智使主
   【鎮座地】当初鎮座の地は奥宮か
        移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「山王権現」と称していた
   【社殿】本殿流造
       拝殿・神饌供進所・社務所・神庫

   【境内社】

この地は諏訪族に対抗した天孫系阿智族の開拓の地とされている。
細い尾根の上に鎮座している。小川の水音有り。


阿智神社

社伝によれば人皇第8代孝元天皇5年春正月天八意思兼命御児神を従えて信濃国に天降り、阿智の祝(はふり)の祖となり給うたと伝えられ、この地は古代東山道の沿線にあたり、鎮座地昼神の地名は日本武尊東征(やまとたけるのみこと)よりの帰路神坂峠を越えんとして峠に住む荒らぶる神の毒気に遮られて進むことができず、たまたま噛んでいた蒜(ひる=にんにく)を吹き掛けた処、悪神たちどころに倒れて進むことができた。
それよりこの地を蒜噛(ひるがみ)という(日本書紀)と伝え、後好字に替えて昼神になったとせられ、また一説にこの地に天降った八意思兼命は高天原(たかまがはら)随一の知恵の神として万機を建策ことごとく成就、殊に天照大神が弟神素盞鳴尊(すさのおのみこと)の余りの無道を憤り、天岩屋(あまのいわや)に隠れ給うやこの神の差配によって無事大神を外にお出しし、太陽の神天照大神をお出しするに大功あった神の鎮まります所、即ち暗(やみ)より昼に帰した功神(いさをがみ)を祭る処故昼神であるといわれている。 延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)所載伊那郡(現上下両郡)2社の内の1社が当阿智神社で(故に延喜式内社あるいは単に式内社ともいう)古くより国司(くにつかさ)祀祭の社として崇敬極めて厚い地方の名社である。
奥宮は前宮より阿智川に沿って上ることおよそ2粁、本谷川と黒川が合流して阿知川となる三角に突出した半島状の先端部に祭られ、全山大木欝蒼と繁り、春はその間に岩つつじが可憐な花を見せ、秋は紅葉が美しく川の流れに映え、四季を通じて景勝の誉れ高い所である。 これより奥3粁程で歴史と伝説の里園原、更に神坂峠へと通ずる。
この奥宮の地こそ阿智地方開拓の祖神天表春命(あめのうわはるのみこと)の永久の鎮り処川合陵(かわあいのみささぎ)にて、風光明媚まことに祖先の神霊を齋き(いつき)祭る奥津城(おくつき=墓)に相応しく、丘上に苔蒸した巨石が祀られ、かつて国学院大学教授大場磐雄博士により磐座(いわくら)即ち上代における祭祀の遺蹟であると立証せられた。
そもそも阿智神社は上古信濃国開拓の三大古族即ち諏訪神社を中心とする諏訪族と穂高神社を中心とする安曇族とともに国の南端に位置して開拓にあたった阿智族の中心をなす神社としてその祖先を祭り、平安初期に成立した「先代旧事本紀」(せんだいくじほんき)に八意思兼命その児(みこ)表春命と共に信濃国に天降り阿智祝部(はふりべ)の祖となるとあり、信濃の国境を扼(やく)する神坂の東麓阿智地方に留まりその一族を率いて伊那西南部地方を開拓経営にあたり、隣接する駒場町に鎮座する元郷社安布知(あふち)神社もやはり天思兼命を主神として奉祀している。
この駒場は延喜の官道東山道阿智駅(あちのうまや)が置かれ、駅跡(うまやあと)と推定せられるところを中心に条理制の跡を残す水田開け、水田地帯の周辺部に古墳多数が見られることからこの神社を含めて式内阿智神社であるとする史論も近頃高まりつつあり、いずれにしても阿智神社奥宮の地より昼神、更に安布知神社の鎮座する駒場にかけての一帯こそ古代阿智族の本拠地と見るべく両神社とも昔時は吾道宮(あちのみや)或いは吾道大神宮(あちのおおかみのみや)と称(とな)え、江戸期にはそれぞれ朱印十石の寄進を受けた有力な古社であった。
又上水内郡戸隠村鎮座元国幣小社戸隠神社中社の御祭神天八意思兼命、宝光社天表春命の二神は村上天皇天暦年間当社より分祀せられたと伝えられ、更に埼玉県秩父神社の御祭神天八意思兼命は同神、御児天下春命(あめのしたはるのみこと)は天表春命の弟神にましますという、それぞれに極めて因縁深い関係の神社である。

社頭掲示板



阿智神社

御祭神
天八意思兼命
天表春命
相殿の神
誉田別命
健御名方命
大山咋命
由緒
当神社は先代旧事本紀に高皇産霊の尊.児天八意思兼命、その児天表春命と共に天降りまし信濃国阿智祝等の祖となるとあり大古越後より信濃にかけて蟠踞する出雲系諏訪族に対抗する天孫系氏族の尖兵として信濃の国境を押える最重要地点御坂の東麓この地に来たり駐留し、そめ部曲の民を卒して阿智の地方を中心に伊那西南部一帯の径営開柘にあたった信濃国、三大古族の一つ阿智族の本拠で駒場町鎮座安布知神社と共にその祖先神であり、守護神を祭る神社である。
奥宮はここより、阿知川に沿って遡ること2kmの地点にあり、一山古墳の如く、境内にある苔生した大石は.古代祭祀跡の磐座であると学者により立証せられ、里人は昔からこの山を川合陵と呼び、祖神の神霊永久に鎮りまず奥都城処(墓地)として崇んでゐる。
又、社伝仁よればこの神は、工匠の神として稲籾を十個並べて一寸とし、一寸を十並べて一尺とし、物の長さを計る単位を定め曲尺を作り曲尺の祖神として、大工、建具職、細工職、等材木を扱う人々に深く信仰せられている。
本県上水内郡鎮産戸隠神社中社天八意思兼命宝光社天表春命二神は村上天皇天暦年間この社より分祀せられたと伝えられてゐる。
社格 元郷社
主な恒例祭典
元旦祭 1月1日
新年祭 4月15日
例祭 10月14日
新嘗祭 11月23日
大祓 12月26日

社頭掲示板



阿智神社

創建 孝元天皇五年(紀元前210)正月 伊那谷にある武内社の一つで律令下国司祀祭の社として崇敬厚い地方の古社である。
神坂峠東麓阿智を中心に、伊那西南部一帯に開拓の歩を進めた阿智族の祖神を祀る聖地である。
江戸期徳川幕府より午印10石を寄進せられた。
奥宮の磐座は、国学院大学教授 大場磐雄博士により古代祭祀遺跡であると立証されている。
祖神表春命の陵とされ椀貸伝説もある。

長野県神社庁



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