香取神宮
かとりじんぐう 所在地 社名















   【延喜式神名帳】香取神宮(名神大 月次新嘗) 下総国 香取郡鎮座

   【現社名】香取神宮
   【住所】千葉県香取市香取 1697
       北緯35度53分10秒,東経140度31分43秒
   【祭神】経津主大神 武甕槌命 比売神 天児屋根命
   【例祭】4月14日 例祭
   【社格】旧官幣大社
   【由緒】皇極天皇2年(643)3月勅使奉幣
       天平4年(732)詔して、社を改めて宮号とした
       宝亀八年(777)7月内大臣藤原良継病むにより、香取神を正四位
       延暦20年(801)坂上田村麻呂参拝
       承和3年(836)5月伊波比主命(香取神)を從三位から正二位
       同6年(839)10月正二位から従一位
       天慶6年(882)12二月9日て正一位
       寛仁元年(1017)10月一代一度の大神宝奉進
       治承5年(1181)源頼朝神領寄進
       文永8年(1271)蒙古襲来で国家安穏祈願
       観応3年(1352)足利尊氏神領寄進
       天正18年(1590)豊臣秀吉社領を安堵
       同19年徳川家康社領千石を寄進
       明治4年官幣大社
       昭和17年勅祭社(五年に一度)

   【関係氏族】中臣氏
   【鎮座地】当初よりこの地に鎮座医

   【祭祀対象】
   【祭祀】古来より祭祀は継承されている
   【公式HP】 香取神宮
   【社殿】本殿権現造
       幣殿(神饌弁備所を含む)、社務所、宝物殿、香雲閣(二階建)

   【境内社】鹿島新宮・又見神社・匝瑳神社・奥宮
       諏訪神社・馬場殿神社・櫻大刀自神社・市神社・六所神社
       押手神社・姥山神社・佐山神社・狐坐山神社・王子神社
       香取護国神社・裂々神社・璽神社・日神社・月神社・大山祇神社・三島神社

   【境内図】 境内図

神武天皇18年の創建という。
主祭神経津主神は、鹿島の大神武甕槌神と共に天から指し遣わされた武神。
古来皇室の御崇敬すこぶる厚く、特に神宮の称号を受け、神階従一位延喜の制名神大社である。公家・武家の信仰も極めて厚く、神宝・神領がしばしば寄進された。下総国一の宮。明治4年官幣大社・昭和17年勅祭社(天皇が勅使を差し遣わして奉幣を行う神社)に治定された。 大和朝廷の東国ないし東北地方治定の歩が強力に進められるようになつた4・5世紀以後のある時期に、勇武の神として伝承される武甕槌神を鹿島の地に、同じく経津主神(伊波比主神)を香取の地に祭つて、東北地方の鎮撫ならびに開拓の守護神と仰いだのが、本宮の起りであろう。


由緒

<鎮座地>千葉県佐原市香取
<御祭神>経津主大神(フツヌシノオオカミ)(又の御名伊波比主命)<イハヒヌシノミコト>
<御事歴>大神は天照大御神の御神意を奉じて、鹿島の大神と共に出雲国の大国主命と御交渉の結果、円満裡に国土を皇孫に捧げ奉らしめ、更に国内を御幸して荒振る神々を御平定され、日本建国の基を御築きになり、又東国開拓の大業を完遂せられて、平和国家の建設と民生の安定福祉に偉大なる御神威を顕わされた。
<御神徳>古来国家鎮護の神として皇室の御崇敬最も篤く、特に「神宮」の御称号を以て奉祀され、名神大社として下総国の一の宮である。明治以後の社格制では官幣大社に列せられ、その後勅祭社に治定せられて今日に至っている。奈良の春日大社、東北の鹽竃神社を始めとして、香取大神を御祭神とする神社は全国各地に及んでおり、昔からの伊勢の上参宮に対し下参宮と云われ、広く上下の尊崇をあつめて居る。又、一般からは産業(農業・商工業)指導の神、海上守護の神或は心願成就、縁結、安産の神として深く信仰されている。尚その武徳は平和、外交の祖神と敬われ、勝運の神、交通安全の神、災難除けの神として有名である。
<御社殿>宮柱の創建は神武天皇御宇18年なる由香取古文書に記されている。去る昭和33年4月、御鎮座2600年祭が盛儀を以て斎行せられた。古くは伊勢神宮と同様式年御造営の制度により、御本殿を二十年毎に造替されたのであるが現在の御社殿(本殿・楼門・祈祷殿)は元録13年(西紀1700年)、徳川綱吉の造営に依るものである。昭和15年、国費により拝殿の改築と共に御本殿以下各社殿を御修営し、その後昭和52年から三年の歳月を懸けて、御屋根茸替・漆塗替が行われた。構造は本殿(重要文化財)、中殿、拝殿相連れる所謂権現造である。
<境内>香取の神域は大槻郷亀甲山と呼ばれ県の天然記念物に指定され、その面積は123,000平方米(約37000余坪)で他に境外社有地がある。神域内は老杉鬱蒼として森巌の気自ら襟を正さしめる。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




香取神宮参拝の栞

鎮座地 干葉県佐原市香取が御鎮座地である。境内の面積は三万七千余坪で他境外に摂末社が多数ある。神域内は老杉欝蒼として森厳の気は自ら千古の由緒を語っている。後苑桜馬場よりの眺望は水郷の風光が一眸に集り頗る佳である。
御祭神 経津主大神(又の御名伊波比主大神)
御事歴 大神は皇祖の神々の御神意を体して鹿島の大神と共に出雲の大国主命と御交渉の結果、円満裡に国土を皇孫に捧げ奉らしめ、更に国内の荒振る神々を平定して、日本建国の基を御築きになり、又東国開拓の大業を完遂されて天皇を中心とする我が国体の確立に大きな御功績を著わされた。
御神徳 国家鎮護の神、皇室守護の神として、古来皇室の御崇敬厚く奉幣使の御参向もしばしば行われた。上古より「神宮」と称せられ、古い社格では名神大社、下総国一之宮で、明治以後の神社制度に於ては官幣大社に列し、更に毎年陛下の御幣帛の供進があり、六年毎に勅使御参向の勅祭社に指定されて今日に至っている。又一般には東国開拓の大業を崇め奉って国運開発の神、武道(勝運)の神、交通安全の神民業指導の神、海上守護の神として全国的に深く信仰されて居る。
御祭日
節分祭   2月節分の日  例祭   4月14日
神幸祭   4月15日   御田植祭 4月第一土日曜日
新飯神事  10月17日  新嘗祭  11月23日
大饗祭   11月30日夜 賀詞祭  12月1日夜
内陣神楽  12月4日夜  団碁祭  12月7日夜
月次祭   毎月1・14日
御社殿 宮柱の創建は神武天皇18年と伝えている。現在の御本殿は元禄13年徳川綱吉の造営で、昭和15年拝殿其の他と共に国費により大修繕が行はれ昭和52年本殿が重要文化財に指定された。構造は本殿、中殿、拝殿、相連れる所謂権現造である。
御宝物  国宝海獣葡萄鏡  一面
重要文化財 双竜文鏡  一面
重要文化財 狛犬  一対
重要美術品 小筥  二点
重要美術品 櫛  二点
県指定文化財 御田植祭用 古面 三面
県指定文化財 亀山天皇御勅額 一面
明治天皇御奉納 御太刀 一口
県指定文化財 神代盾 二面
県指定文化財 香取神宮 古文書 約千点
其の他、刀剣、古鏡、鴛鴦椀、行器、櫛筐、古文書等が多数保存されている。
境内案内 楼門 元禄13年に御本殿と共に建造された楼門で均斉のとれた姿は御社殿とよく調和している。
黄門桜 楼門前にあり、水戸光圀卿の御手植である。
徳川斉昭卿之を詠みて
「恵ある風にしられていちじるし 香取の宮の花の盛りは」
三本杉 神餓所の側にあり、源頼義この杉に「天下太平、社頭御栄、子孫長久」の三祈願をせしと伝へられる。
御神木 御札所前にあり、落合直文氏之を詠みて
「このめぐりいくさかありと四人して
  いだけど足らず 神のふる杉」
桜ノ馬場 神苑裏山、景勝絶佳、筑波山、鹿島山、香取ケ浦、潮来十六島等水郷の風光を一望に収められる。
桜樹数百本、花の名所として知られている。
香雲閣 大正天皇始め各皇族御参拝の砌御休憩の由緒ある当神宮附属建物で予め社務所に申し込めば参拝者に開放して便宜を図る。
要石 往古尚この地方ただよへる国にして地震多きが故に国家鎮護の為、香取鹿島の大神この石を鎮めたと伝へられる。
宝物館 香取神宮宝物館は昭和41年式年大祭を記念して建設されたものである。国宝・重文を始め宝物多数を陳列公開している。

由緒書



香取神宮御由緒

鎮座地 千葉県佐原市香取
御祭神 経津主大神(又の御名伊波比主命)
御事歴 大神は天照大御神の御神意を奉じて、鹿島の大神と共に出雲国の大国主命と御交渉の結果、円満裡に国土を皇孫に捧げ奉らしめ、更に国内を御幸して荒振る神々を御平定され、日本建国の基を御築きになり、又東国開拓の大業を完遂せられて、平和国家の建設と民生の安定福祉に偉大なる御神威を顕わされた。
御神徳 古来国家鎮護の神として皇室の御崇敬最も篤く、特に「神宮」の御称号を以て奉祀され、名神大社として下総国の一の宮である。明治以後の社格制では官幣大社に列せられ、その後勅祭社に治定せられて今日に至っている。
奈良の春日大社、東北の塩釜神社を始めとして、香取大神を御祭神とする神社は全国各地に及んでおり、昔から伊勢の上参宮に対し下参宮と云われ、広く上下の尊崇をあつめて居る。又、一般からは産業(農業・商工業)指導の神、海上守護の神或は心願成就、縁結、安産の神として深く信仰されている。尚その武徳は平和、外交の祖神と敬われ、勝運の神、交通安全の神、災難除けの神として有名である。
御社殿 宮柱の創建は神武天皇御宇18年なる由香取古文書に記されている。
去る昭和33年4月御鎮座2600年祭が盛儀を以って斎行せられた。古くは伊勢神宮と同様式年御造営の制度により、御本殿を20年毎に造替されたのであるが現布の御社殿(本殿・楼門・神楽殿)は元禄13年(西紀1700年)徳川綱吉の造営に依るものである。昭和15年国費により拝殿の改築と共に御本殿以下各社殿を御修営し、その後昭和52年から三年の歳月を懸けて御屋根葺替・漆塗替が行われた。構造は本殿(重要文化財)、中殿、拝殿相連れる所謂権現造である。
境内 香取の神域は大槻郷亀甲山と呼ばれ県の天然記念物に指定され、その面積は123,000平方米(約三万七千余坪)で他に境外社有地がある。神域内は老杉鬱蒼として森厳の気自ら襟を正さしめる。
後苑桜馬場よりの眺望は潮来を始め国定公園日本水郷の中心が一眸に集まりその風光頗る明媚である。
香取神宮の主な祭典
元旦祭  1月1日
年の始めにあたって皇室の安泰と氏子崇敬者を始め国民の繁栄とを祈る祭りである。
節分祭  2月節分日
年男多数参列して盛大に行なわれる招福追儺の儀式で鳴弦の儀、神人の追儺舞など奏せられ、福銭福品の授与がある。
祈年祭  2月17日
一年の五穀豊穣を祈って行なわれる大祭である
御田植祭 4月4日
一般に「かとりまち」と云われ風水害もなく無事に田植も終え秋の豊穣ならんを祈るお祭で、耕田式田植式と八人の稚児が早乙女を奉仕し、田舞など奏せられ華やかな特殊神事として二日間に亘って行なわれるが、苗木農具市などが開かれ、年中最大の股賑を極める。
例祭  4月14日
大祭中最重要な祭儀で、皇室より御幣物の御奉納があり、又献幣使が参向し国家の隆盛は素より天皇の弥栄と氏子崇敬者始め国民の福祉とを祈って厳粛に行なわれる。
神幸祭  4月15日
桜花咲き競う頃御神輿を中心に旧八力町村氏子が供奉して盛大に行なわれる。特に午年十二年毎の式年大祭の豪華絢欄さは全国祭事中の圧巻である。
新飯神事  10月17日
」 新穀を赤飯に炊いて奉納し神賑に青年力士の奉納大相撲がある。
新嘗祭  11月23日
天皇が今年の新穀をきこし召されるについて皇祖を始め諸神に御供進遊ばされるのであるが、当宮においても新穀を奉納「秋のかとりまち」として報恩感謝の誠を捧げる大祭である。
大饗祭  11月30日夜
古式床しい当宮独特の新穀感謝の神事で数々の神饌は珍らしい熟饌を以ってし、大和舞の奉奏が行なわれ旧社家の人々も奉仕して篝火に映える祭儀は典雅荘重を極める。
賀詞祭 12月1日夜
古神事の一つで大饗祭の終了をお祝いする厳粛なお祭りである。
内陣神楽 12月4日夜
年中五箇度御扉開の終の祭儀で宮司以下神職のみ奉仕して厳粛の裡に行なわれる。
団碁祭  12月7日夜
八石八斗団子祭とも言われ新穀で団子をつくり奉納する五穀成熟感謝のお祭りである。年中祭典中神酒の奉献がない珍らしい神事で比売(ヒメ)神慰労のお祭りとも言われる。
月次祭  毎月1・14日
月の始めと祭神縁りの日〔4月14日例祭〕にその月の平安と繁栄を祈る祭儀である。
総門
参道を登りつめると華麗な朱塗の総門がある。角柱十二本の脚門で杉の緑を背景にして、巾20mの石段の上に仰ぐ鮮やかな色彩は当宮一の門として印象的である。桜の頃は階前の花と調和して一段と見事な風光を呈する。
朱塗の大鳥居
香取神宮参道正面にある第二の鳥居である。鳥居の朱と周囲の老杉の緑とが良く調和して、神域の入口にふさわしい美観を呈しており、参拝者の心を自から厳粛にする。
楼門(重要文化財)
目もあざやかな朱塗の楼門は最も壮麗である。掲額は世界的に名将の誉ある東郷平八郎元帥の筆である。楼門右前には黄門桜と言われている水戸光圀手植の桜がある。
尚本門は元禄13年の建造である。
神殿
神宮の創建は神武天皇18年なる由が古文書に記されているが、現在の御本殿は元禄13年徳川綱吉の御造営である。
拝殿は昭和15年国費をもって改築させられた檜皮葺屋根、黒塗権現造りの典雅な社殿である。その長押上には極彩色の蟇股があり、禽献花鳥の彫刻がその黒塗の社殿に渾然と調和して引締った重量感に充ちた社殿である。
幣殿・本殿正面
権現造りの本殿と拝殿を繋ぐ建物を幣殿と称し、その幣殿より見た御殿の内部。黒漆塗黄金色の飾りのある扉の奥が、祭神経津主大神の鎮座せられる御本殿である。その神前には国家安泰・五穀豊穣・家内安全・交通安全祈願の参拝者が後を絶たない。
拝殿
社殿の黒塗と同様に拝殿内部も黒塗一色の重厚な色彩で、欄間のみに美しい色彩があり荘厳の感は一しお深いものがある。
御田植祭
神田を耕作し五穀豊穣を祈願するお祭りで、現在は耕田式と、翌日の田植式とが行われている。耕田式は拝殿の前庭を五色の絹に彩られた牛が田を耕し、また少女達の田舞が行われる。
田植式には、花傘の早乙女達に依り田植の式を行い、神田で田植のお祭りが行われる。
この祭は伊勢神宮、大阪の住吉大社と共に日本三大田植祭りとして有名である。
神幸祭
経津主大神の御神徳を仰ぐ氏子達が、大神の御巡幸をお迎えするお祭りである。毎年4月14日の御例祭に続いて行われる。
特に十二年目毎の午歳に行われる式年神幸祭は盛大で、甲冑その他伝統の装いで供奉する氏子は八千人と称せられ、御神輿は津の宮鳥居河岸から御座船に移り、利根川を遡って船上祭が行われる。沿道および利根川沿岸は拝観者で埋めつくされる。
宝物館
東国において最古の歴史を誇る当神宮の宝物等、古文書類は千余点に及び、何れも深い御由緒に基く篤い崇敬と信仰の歴史を物語るものである。又当館には日本三名鏡の第一に挙げられる国宝の海獣葡萄鏡を始め太刀・美術工芸品・古文書等が陳列公開されている。
本館は昭和41年の式年神幸祭記念事業として新築された。
国宝海獣葡萄鏡一面
直径29.4cm、中国階時代の作品で、奈良正倉院御物及び四国大山祇神社の神鏡とを合せて日本三名鏡と称するがその随一。鏡裏の内区に八頭の親海馬と十三頭の子海馬の戯れる形状を葡萄唐草の上に配し、外区には葡萄唐草の上に□雉鹿朱雀の雌雄を配している。
重文 古瀬戸黄紬狛犬 一対
南北朝時代の作品。古瀬戸の狛犬としては代表的なものである。
重文双竜文鏡 一面
背面の外区に「五竜雲乗形可鋳久安五年己巳正月十一日甲午□重□奉」の銘がある。
本邦紀年銘鏡としては最古の一つといわれている。
県文 神号鏡
柄鏡で大形品、背面は砂目地に神号と奉納銘が陽鋳されており、最初から奉納鏡として作製されたもので、元禄八乙亥歳九月吉日と刻されている。
軍艦香取御紋章 一基
大正10年3月から六ヵ月にわたり、昭和天皇皇太子の時、御外遊の際お召艦であった「香取」の艦首につけられていたもの。大正12年12月奉納。
記念切手は御召艦香取と供奉艦鹿島を描いたものである。
県文 神号額 一面
額面に「正壱位勲一等香取大明神」とある。檜板製で社伝によれば、亀山上皇震筆と称するが、その他は詳かに知り得ない。文永8年蒙古来冠の折、国家安穏祈願の為奉納された勅額と伝える。
県文 螺鈿蒔絵藤文小筥 三合
丸形二合、長手形一合で、共に鎌倉時代の作。六具足(手筥中に収めた小道具を一括したもので鏡・白粉・お歯黒等の化粧品入れ)に附属した小道具と考えられる。
県文 古面 三面
獅子口面・大悪見面・姥面何れも狂言面であるが、4月第一土・日曜日の御田植祭の際この面を用い、獅子口(納曾利)は薙刀を、大悪見は鍬、姥を早苗はもって奉仕する。鎌倉時代の作と伝えられている。
県文 銅製供器 ニ口一脚のうち
この種のものは全部で三種九口十脚を存し、共に青銅製で三種共仏具より受けた器具である。神仏混淆期に使用された神饌を盛り供える品で室町時代の作である。
県文 源頼朝寄進状(香取古文書五巻のうち)
治承五年十月源頼朝公が心願成就のため下総国下福田郷を寄進したときの寄進状である。
県文 金銅檜扇 六面のうち
室町時代の作。御遷宮の記録によれば御造営の都度御祭神の御料として調進し奉る例となっており、その折調進されたものと考えられる。 県文 櫛
鎌倉時代・室町時代と年代が下降しているが、御遷宮の際、御祭神の御料として調進されたものである。
県文 盾形鉄製品 二面のうち
鋳鉄製、古来神代盾と称し、その形状には古色掬すべきものがあり、製作年代は相当に遡ると思われる。おそらくは御神宝の一つとして調進されたものと思われる。
県文 黒漆菊模様蒔絵手筥 一合
総体を黒漆とし、蓋の表裏を胴の四園及び懸子の周囲に金蒔絵で菊花模様を施している。全体の形状や丈様及び金具等より見て、鎌倉時代の作と思われる。
「金銀錯」花瓶 人問国宝香取正彦謹製
香取神宮崇敬会四十周年の昭和61年、日本国家の源基である皇室無窮の弥栄と、昭和天皇御在位60年を奉祝して鋳造。
寄辺の水入 一個
古来霊水をこの器に入れて社殿に納め、一年後に出して水量を計って年占としたもので、本品は中国宋代のものである。
香取神宮古絵図(旧大禰宜家蔵)
製作年代は不詳であるが、社殿の結構は元禄13年造営の現在のものとは全く異なり、慶長御造営の仕様とも違うので、それ以前の原画を写したものと考えられる。
御本殿正面、側面共若干の差異が見られる。建物それぞれの名称はないが、御殿・内院門・外院門・不開殿・嬬殿・宝殿・東廊・西廊・祭殿・中殿・酒殿・庁屋等、御造営資料に該当する殿舎を推考し得るものである。
香取・鹿島両神影二幅
狩野法眼古川筆で香取経津主神・鹿島武甕槌神の両祭神の尊像である。
御神木
神殿の南面にあり、樹令約1,000年と言われる、周囲約10mの巨杉である。
香取神宮神池
昭和53年式年大祭記念事業の一つとして昭和55年10月竣功した。神池は亀甲の池、宮下の池、菖蒲ヶ池の三つに名づけられてある。
伊能忠敬旧宅
母屋は寛政5年(1793)に忠敬の設計した平屋建で、玄関・書斎・納戸など五室がある。
忠敬は日本最初の実測地図を作成した人で、十八年の間全国にわたって測量し、全国の大図・中図・小図を幕府に献上した。
尚、同記念館は忠敬翁の遺品等を展示し一般公開をしている。
津の宮
香取大神は海路こゝから上陸されたと伝えられ、往昔の表参道口で大鳥居がある。式年神幸祭にはここから御神輿を載せた御座船が大利根を遡る。

由緒書



香取神宮

鎮座地 千葉県香取市香取1697
※平成18年3月27日佐原市・小見川町・栗源町・山田町が合併し、「香取市」が誕生。
(旧:千葉県佐原市香取1697)
御祭神
経津主大神(ふつぬしのおおかみ)
<又の御名伊波比主命(いはひぬしのみこと)>
例祭日
4月14日 勅祭
御祭神の神話
皆さんは、出雲の国譲りの神話をご存じでしょうか?
  香取の御祭神経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は、この神話に出てくる神様なのです。
 神話の内容は、はるか昔、天照大神(伊勢神宮・内宮の御祭神)が日本の国を治めようとしましたが、荒ぶる神々が争い、乱れていました。
 大御神は八百万神に相談すると、天穂日命(あめのほひのみこと)がすぐれた神であるということで遣わされましたが、  出雲国の大国主神(おおくにぬ しのかみ)に従ってしまったので、次に天稚彦(あめのわかひこ)が遣わされました。 天稚彦もまた忠誠の心なく、 顯國玉神(うつしくにたまのかみ)の娘の下照姫(したてるひめ)を妻として、自ずから国を乗っ取ろうとしましたが、亡くなってしまいました。
 このようなことが二度つづいたので、大御神が八百万神に慎重に相談させると、神々が口を揃えて、経津主神こそふさわしいと申し上げました。 そこへ武甕槌大神(たけみかづちのかみ・鹿島神宮の御祭神)が申し出られたので、 共に出雲に派遣されることになりました。
 経津主、武甕槌の二神は出雲国の稲佐の小汀(いなさのおはま)に着いて十握剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さに突き立て、武威を示されると 大国主神は大御神の御命令に全く異議はありませんということで、平国の広矛(くにむけのひろほこ)を受け取り、二神は日本の国を平定して、大御神の元へ復命されたのです。

公式HP



千葉県指定天然記念物

香取神官の森
昭和49年3月19日指定
この地は古くから信仰の場として保護されてきたため、目通り幹囲鉾3mを越えるスギをはじめ、イヌマキ・モミなどの巨木が林立しており、落葉に埋れた古道や古井戸は往時の景観をしのばせている。また森の全景が亀に似ていることから亀甲山と称されている。
この森の高木層はスギで占めているが、亜高木層にはスダジイ・シラカシ・シロタモなどの常緑広葉樹が多くみられる。 草木層にはアスカイノデ・フモトシダ・イワガネソウ・ベニシダなどのシダ類をはじめとしてリュウノヒゲ・ヤブラン・フウランなどの草木類が数多く自生している。
スギの老齢林としては県下でも有数であり、学術的にも貴重なものである。
昭和60年2月1日
千葉県教育委員会
香取市教育委員会

社頭掲示板



香取神宮

奥宮
当官の旧参道脇に御鎮座
御本殿に経津主大神の和御魂を御祀りするのに対し、奥宮には荒御魂を御祀りする。
これは大神の大いなる御働きのひとつで「心願成就」に霊験あらたかである。
現在の社殿は、昭和48年伊勢神宮御遷宮の古材に依るものである。
要石
古伝によればその昔、香取・鹿島の二柱の大神は天照大神の大命を受け、芦原の中つ国を平定し、香取ケ浦付近に至った。しかし、この地方はなおただよえる国であり、地震が頻発し、人々はいたく恐れていた。
これは地中に大きな鯰魚が住みつき、荒れさわいでいると言われていた。大神たちは地中に深く石棒をさし込み、鯰魚の口尾を押さえ地震を鎮めたと伝わっている。
当宮は凸形、鹿島神官は凹形で地上に頭部だけをあらわし、深さ幾十尺とされている。貞享元死年(1664)3月、徳川光圀公が当宮に参拝の折、これを掘らせたが根元を見ることができなかったと伝わる。

社頭掲示板



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