二荒山神社(下之宮)
ふたあらやまじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】二荒山神社(名神大) 下野国 河内郡鎮座
          (本社)二荒山神社

   【現社名】二荒山神社(下之宮)
   【住所】栃木県宇都宮市馬場通
       北緯36度33分39秒、東経139度53分10秒
   【祭神】豊城入彦命 (配祀)大物主命 事代主命
   【例祭】
   【社格】
   【由緒】仁徳天皇41年(353)奈良別王荒尾崎に豊城入彦命を祀る
       承和5年(838)現在地に遷座

   【関係氏族】
   【鎮座地】もとは現在地にあった
        承和5年(838)丘の上に遷座

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿神明造
       

   【境内社】
   【旧別当】

第16代仁徳天皇の御代に良別王下野の国造となり、国を治めるに当たり、命の偉業を偲び、神霊を荒尾崎(現在の下之宮)の地に祀り合せて、国土開拓の神、大物主命・事代主命を祀られた。その後承和5年(838)に現在地の臼ヶ峰に還座。


由緒

主祭神、豊城入彦命は、第十代崇神天皇の第一皇子であらせられ、勅命を受けて、東国治定のため、毛野国(栃木県・群馬県)に下られました。国土を拓き、産業を奨励し、民を慈しんだので、命の徳に服しました。その御子孫も東国にひろく繁栄され、四世の孫奈良別王が、第十六代仁徳天皇の御代に下野の国造となられて、国を治めるに当たり、命の偉業を偲び、御神霊を荒尾崎(現在の下之宮)の地に祀り合せて、国土開拓の神、大物主命・事代主命を祀られました。その後承和5年(838)に現在地の臼ヶ峰に還座されました。以来、平将門の乱を平げた藤原秀郷公をはじめ源義家公、源頼朝公、下って徳川家康公などの武将の尊崇を受けられました。
古くは、延喜式内社名神大、当国一之宮、明治になって国幣中社に列せされ、「お明神さま」の名でひろく庶民に親しまれ、篤く崇められてきております。宇都宮の町も、お宮を中心に発展してきたので、町の名も社号をそのまま頂いてきており、市民憲章にも「恵まれた自然と古い歴史に支えられ、二荒の杜を中心に栄えてきた」と謳われています。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




下之宮

下野国一之宮 二荒山神社攝社下之宮
 当神社は二荒山神社の発祥 の地(荒尾崎)に創建された神社 で「二荒山神社攝社下之宮」と 称し御祭神は本社(臼ヶ峰)に 鎮斎される二荒山神社と同神 「豊城入彦命」をおまつりしてお ります。
 ご由緒は大変古く第十六代 仁徳天皇の御代下毛野の国造 であつた奈良別王が東国治定 の功績高い豊城入彦命を御祭 神として国社をこの地に建立 後世八三八年に峰続きの臼ヶ峰 に本社を造営し発祥の聖地を 下之宮として永く奉斎してきました。
 下之宮は長い歴史の中で丘陵 は道路で分断され、招魂社は 護国神社として移設しおより の鐘は寺領に納め更に小高い 丘は削減しビル陰にて奉祀さ れてまいりました。
 相生町再開発事業と共に 由緒深き聖地に下之宮のご復 興をみたものである。

社頭掲示板



下野国INDEXへ        TOPページへ


学校DATA