生田神社【旧地】
いくたじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】生田神社(名神大 月次/相甞/新甞) 摂津国 八部郡鎮座
          (現在社)生田神社

   【現社名】生田神社【旧地】
   【住所】兵庫県神戸市中央区葺合町布引山
       北緯34度42分34秒,東経135度11分44秒
   【祭神】

   【例祭】
   【社格】
   【由緒】延暦18(799)大洪水で砂山の麓が崩潰し現地へ

   【関係氏族】
   【鎮座地】延暦18(799)大洪水で砂山の麓が崩潰し現地へ

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】
       

   【境内社】

徳光院すぐ前(南)の砂子山(通称円山)は、神功皇后、生田神社創祀の霊地として、約500年間ここに鎮座していた。
砂子山は現在個人の所有となっているが、ここには六英堂があった。
六英堂とは、岩倉具視ら明治の六傑を祀った霊廟である。祭神は岩倉具視、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、三条実美、伊藤博文である。1921年(大正10年)に創建された。
馬場先門内にあった岩倉具視旧邸をこの地に遷して創建したが、1977年(昭和52年)、建物は西宮神社に移築された。


大圓山徳光院

大圓山徳光院は、明治39年(1906年)の創建である。
禅宗の一派、京都嵯峨の臨済宗天龍寺派に所属し、夢窓国師の法灯を掲げる。当時の管長、高木龍渕禅師を請じて開山とした。
 神戸に所縁のある川崎造船所(現川崎重工業)の創始者,川崎正蔵翁が、民衆教化の禅道場創立を発願して、境内530坪(1,750平米)及び本堂、庫裡、山門、鐘楼などの伽藍を建立、あるいは移築して、一寄進を以って開基されたものである。
 その後、約五十年間に亘って、川崎家代々の庇護のもと、多宝塔、開山堂、弁天堂、茶所、茶室、納骨堂等の建物を殖やし、約4000坪(13,200平米)の境内地を擁する現在の輪奐が調えられたのである。
 この地はもとの布引山滝勝寺(通称滝寺)の跡地といわれる。同寺縁起に依ると、滝寺は文武天皇初年(697年頃)、役の小角が布引の滝において修法し、馬頭観音を祀り創建した寺で、一時七堂伽藍七十有余の僧房、末寺を有し、頗る降盛を極めたと伝えられる。
惜しいかな、天正7年(1575年)、花隈城主荒木村重謀反に依る滝山城落城の兵火によって、悉く焼失したのである。
布引山に隣接して、「寺ヶ谷」「教の尾」「口円光坊」「奥円光坊」等の地名があるのはその名残りであろう。滝寺は栄枯盛衰を経て、大正9年、市内熊内町に移り、今は真言宗の名刹として栄えている。
 また、すぐ前の砂子山(通称円山)は、神功皇后、生田神社創祀の霊地として、約五百年後ここに鎮座せられたが、滝寺創建の頃(697年頃)、熊内郷に遷座、さらに百年後、延暦18年(799年)、生田の森に遷座せらる云々と伝えられている。この砂子山山頂附近と寺の境内地から弥生時代の土器が出土し、現在神戸市立博物館に委託保存されている。

徳光院公式HP






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