広田神社本殿向かって左隣に鎮座する。 もとは広田本社より東南八丁のところに在り、大正6年7月16日に広田神社の境内に移転したが、戦災後は本社に合祀した。平成2年御大典に社殿を再建した。 広田神社においては鰯津社と記されることが多かった、室町時代には白川神祗伯の祓を修した6社の1社として崇敬を集めた。 |
伊和志豆神社 延喜式内社伊和志豆神社 御祭神 伊和志豆之大神 創立年代は詳でないか清和天皇貞観元年(859)正月27日従五位下より従五位上に.進み、延喜の制には官幣小社に列せられる。 室町時代には白川神祇伯の祓を修あいた六社の内の一社として厚い崇敬を集めていた。 御祭神は一説によれば彦坐命 開化天皇 の皇子なる白子坐王で広田袖社を創建せられた神功皇后はその四世の孫に当たるを祀祀るといわれている。 もとは広田本社より東南約15kmのところに在り、大正6年7月16日に広田神社の境内に移転いたが、戦後は本社に合氾していた。 平成二年の御大典にあたり社傳を再建し奉斎することになった。兵庫果武庫郡の式内社は広田神社本社、摂社名次神社 摂社 岡田太神社 伊和志豆神社の4社でいずれもは広田神社の所管である。 社頭掲示板 |