伊和志豆神社【広田神社境内末社】
いわしづじんじゃ
広田神社 の境内社
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   【延喜式神名帳】伊和志豆神社(大 月次/新嘗) 摂津国 武庫郡鎮座

   【現社名】伊和志豆神社
   【住所】兵庫県西宮市大社町7-7
       北緯34度45分10秒,東経135度20分24秒
   【祭神】彦坐命
   【例祭】12月18日
   【社格】旧村社
   【由緒】創立年代は詳でない
       貞観元年(859)正月27日従五位上『三代実録』
       明治6年(1874)8月村社
       大正6年7月17日に広田神社境内へ移転

   【関係氏族】日下部氏
   【鎮座地】もと広田本社より東南1.5kmに在り
        大正6年7月17日に広田神社境内へ移転
        戦後は本社に合祀
        平成2年御大典に社殿を再建奉斎

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】江戸時代は「鰯津社」と称していた
   【社殿】本殿石祠
       

   【境内社】

広田神社本殿向かって左隣に鎮座する。
もとは広田本社より東南八丁のところに在り、大正6年7月16日に広田神社の境内に移転したが、戦災後は本社に合祀した。平成2年御大典に社殿を再建した。
広田神社においては鰯津社と記されることが多かった、室町時代には白川神祗伯の祓を修した6社の1社として崇敬を集めた。


伊和志豆神社

延喜式内社伊和志豆神社
御祭神 伊和志豆之大神
創立年代は詳でないか清和天皇貞観元年(859)正月27日従五位下より従五位上に.進み、延喜の制には官幣小社に列せられる。 室町時代には白川神祇伯の祓を修あいた六社の内の一社として厚い崇敬を集めていた。
御祭神は一説によれば彦坐命 開化天皇 の皇子なる白子坐王で広田袖社を創建せられた神功皇后はその四世の孫に当たるを祀祀るといわれている。
もとは広田本社より東南約15kmのところに在り、大正6年7月16日に広田神社の境内に移転いたが、戦後は本社に合氾していた。 平成二年の御大典にあたり社傳を再建し奉斎することになった。兵庫果武庫郡の式内社は広田神社本社、摂社名次神社 摂社 岡田太神社 伊和志豆神社の4社でいずれもは広田神社の所管である。

社頭掲示板



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