平尾の東南部の小丘で(阿比太の森の地名として残るという)中古以後(年代不詳)現在の地に奉遷せられた。 「今はその旧所在地は明らかでない。」とされていたが、明治6年調製「桜村地籍図」に「阿比太森」の字地が発見され、この事で旧社地は、通称巡礼道の「北向地蔵」を含む範囲だろうとされた。 平尾の北向地蔵: 巡礼道の脇に北向きに4体の地蔵を祀る地蔵堂が建っており、夜泣き地蔵とも呼ばれる。乳飲み子を残して女房に先立たれた男が、夜になると泣き出す子を背負って歩いているうちに、この地蔵の前に来るとピタリと泣き止んだので、このように呼ぶようになったと云う。この地蔵堂の脇には元禄13年(1700)に立てられた平尾の庚申塔がある。 |