阿比太神社
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   【延喜式神名帳】阿比太神社(大 月次/新嘗) 摂津国 豊島郡鎮座
          (旧地)阿比太神社【旧地】

   【現社名】阿比太神社
   【住所】大阪府箕面市桜ケ丘1-8-1
       北緯34度49分31秒,東経135度27分23秒
   【祭神】素盞嗚尊
   【例祭】10月23日 秋季例大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】応神天皇3年創建とする
       嘉祥3年(850)正月従五位下『続日本紀』
       明冶5年(1872)村社
       同44年5月神饌幣帛料供進社

   【関係氏族】阿比太連
          「新撰姓氏録抄」左京神別天神に
         「大真(大貞)連が、当初阿比太連」と名乗っていた。
          大真(大貞)連は、饒速日命一五世の孫、珍加利利大連の後裔とある

   【鎮座地】古くは今の阪急電鉄箕面駅の北に鎮座
        中古以後(年代不詳)現在の地に奉遷

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】江戸時代は「牛頭天王」と称していた
   【公式HP】 阿比太神社
   【社殿】本殿流造柿葺
       幣殿・拝殿・神饌所・手洗舎・社務所

   【境内社】八幡大神宮・稻荷神社
   【境内図】

住宅地の中に鎮座する。
古くは今の阪急電鉄箕面駅の北、平尾の東南部の小丘で(阿比太の森の地名として残るという)中古以後(年代不詳)現在の地に奉遷せられた。
今はその旧所在地は明らかでない。
古代この地は豊島牧の地であった。
昭和19年神社明細帳に拝殿前に建てられた黒木の鳥井は神社創建の際に於ける古式を存せるものと記されている。


由緒

当神社は延長5年(西暦927年)に編纂された「延喜式」神名帳に名を載せる式内社であり、御祭神に素盞嗚尊をお祀りしている。応神天皇2年の奉祀なりと伝えられるが確かな文献は存在しない。しかし、「続日本後紀」の記載によれば「仁明天皇3年正月従五位下を授かり給う」とあり、また「延喜式」神名帳には大、月次、新嘗の祭に案上の官幣賜わった大社であることが記されている。古くは牧之荘の大宮と称し、また仏教では素盞嗚尊を牛頭天皇(ごすてんのう)と同一であると説いたので神仏習合の時代におこった牛頭天皇の呼称も当神社の社名として存していた。近世には豊島郡内の大宮として上下の尊崇最も厚く、領主阿部摂津守は代官水原勘右衛門をして幣帛を供進し、折々社参したことを載せる旧記が存する。元禄5年10月の吟味帳によれば、「半町村、桜村、新稲村より火とぼし掃治人一年替りに勤め来り候」と記されている。御神徳としては文学、武道の守護神、また悪疫、旱魃に誠にもって霊験灼かな神として往時より尊崇厚き神社である。境内地は約2500坪、現在の御社殿は昭和50年11月に竣工。三方に半町、桜、新稲の参道を有する。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




阿比太神社

当神社は延長5年(西暦927年)に編纂された延喜式神名帳に名を載せる武内在であり、御祭神に素達鳴尊(すさのうのみこと)お祀りしている。応神天皇2年の奉祀なりと伝えられるが確かな文献は存在しない。しかし、続日本後紀の記載によれば「仁明天皇嘉祥3年正月従五位下を授かり給う」とあり、また延喜式神名張には大、月次、新嘗の祭に案上の官幣を賜わった大社であることが記されている。古くは牧之荘の大官と称し、また仏教では素養鳴尊を牛頭天皇(ごずてんのう)と同一であると説いたので神仏習合の時代におこった牛頭天皇の呼称も当神社の社名として存していた。
近世には豊島郡内の大宮として上下の尊崇最も厚く、領主阿部摂津守は代官水原勘右衛門をして幣帛を併進し、折々礼参したことを載せる旧記が存する。元禄5年10月の吟味帳によれば「半町村、桜村、新稲村より火をとぼし掃治人1年替りに勤め来り候」と記されている。
御神徳としては文学、武道の守護神、また悪疫、旱魃に誠にもって霊験顕かな神として往時より尊崇厚き神社である。
境内地は約2500坪、現在の御社殿は昭和50年11月に竣工。三方に半町、桜、新稲の参道を有する。
御祭神
素盞鳴尊(すさのうのみこと)
素盞鳴尊は天照大神の弟神であり、性勇猛にして八岐大蛇(やまたのおろち)退治をなし、雨や雷を掌る農業神として、また短歌の起源となる「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」のうたを詠んだ文学神としてひろく尊崇される神様である。
御末社
大杉稲荷社
阿比大神社境内末社に大杉稲荷社を奉祀している。当稲荷社は京都伏見稲荷大社の三之峯に鎮座まします大杉稲荷大神の御分霊(わけみたま)を奉祀するもので、五穀豊穣、商売繁昌の神として尊崇厚き稲荷社である。
祭日
1月1日 元旦祭
2月3日 節分祭 大護摩火焚祭
2月23日 祈年祭
4月23日 春祭 同日稲荷祭
6月30日 夏越し祓
10月23日 秋季例大祭 賑わい祭は前の日曜日
11月23日 新嘗祭
12月31日 大祓式

由緒書



阿比太神社

当神社は延長5年(西暦927年)に編纂された延喜式神名帳に名を載せる式内社であり、御祭神に素盞鳴尊(すさのおのみこと)お祀りしている。応神天皇2年の奉祀なりと伝えられるが確かな文献は存在しない。しかし、続日本後紀の記載によれば「仁明天皇嘉祥3年正月従五位下を授かり給う」とあり、また延喜式神名帳には大、月次、新嘗の際に案上の官幣を賜わった大社であることが記されている。
 古くは牧之荘の大宮と称し、また仏教では素盞鳴尊を牛頭天皇(ごずてんのう)と同一であると説いたので神仏習合の時代におこった牛頭天皇の呼称も当神社の社名として存していた。
 近世には豊島郡内の大宮として上下の尊崇最も厚く、領主、阿部摂津守は代官水原勘右衛門をして幣帛を併進し、折々社参したことを載せる旧記が存する。元禄5年10月の吟味帳によれば「半町村、桜村、新稲村より火とぼし掃治人1年替りに勤め来り候」と記されている。
 御神徳としては文学、武道の守護神、また悪疫、旱魃に誠にもって霊験灼かな神として往時より尊崇厚き神社である。
 境内地は約2500坪、現在の御社殿は昭和50年11月に竣工。三方に半町、桜、新稲の参道を有する。
御祭神
素盞鳴尊(すさのおのみこと)
 素盞鳴尊は天照大神の弟神であり、性勇猛にして八岐大蛇(やまたのおろち)退治をなし、雨や雷を掌る農業神として、また短歌の起源となる「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに、八重垣作るその八重垣を」のうたを詠んだ文学神としてひろく尊崇される神様である。

公式HP



阿比太神社

阿比太は假字也〇祭神詳ならず○牧野荘櫻村に在す、今牛頭天王と称す、(摂津志)
神位
続日本後紀、嘉祥3年正月辛丑、奉授摂津國豊島郡阿比太神從五位下、

神社覈録



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