阿爲神社は当初この地に鎮座との説がある。 安威川の氾濫を避けて現御旅所の辺りから現在地に遷ったとされる。 |
阿為神社御旅所 ここは、ここから約1.5km北にある阿為神社の御旅所です。 御旅所とは、神社の御例祭の際に。本宮から出た神輿がしばらく 仮にとどまる所です。 阿為神社、平安時代の延喜五年(905)、醍醐天皇の命により編纂された「延喜式」の神明帳 に記されている式内社のひとつで中臣藍連が初めてこの地に来て、祖先である天児屋根命を 氏神として祀ったのが始まりだといわれています。明治41年(1908)には、手久良山の 幣久良神社(式内社)を合祀されました。 毎年5月3・4日におこなわれる阿為神社の御例祭の際には「神輿とふとん太鼓」が安威・耳原地区をまわり、 この御旅所で休息をとります。 またここから約100m北へ行きますと、帝人椛蜊繻、究センターがありますが、この研究センター内に、 六世紀頃に造られた円墳で、横穴式石棺を持ち、その内部に家形組合せ式石棺と家形刳抜き式石棺が 安置されている「耳原古墳」があります。 社頭掲示板 |