社伝では、祭神の神櫛別命は、景行天皇の御代に南海で悪魚を退治した功で讃岐国造に任じられたという。のち館を城山に造営して住んでいたが、仲哀天皇8年に120歳で没した。その後、祠を建てその神霊を祀ったのが当社の始まりと伝える。 神社はもと城山の東南隅、明神が鼻にあつたが正平17年(1362)細川清氏の白峯合戦に、兵火にかかり、府中の印鑰(インヤク)という地に移されて、「印鑰大明神」と称したが、何時の頃よりか、今の地に移転せられたと云う。 城山々頂、明神が鼻と称する地は、山中で最も神聖なる場所とせられ、菅公祈雨の霊蹟と伝えられる。今も数十箇の巨巖が乱立して、古代祭祀の跡を留めている。 |
由緒 当社は坂出市府中町4760に鎮座しており、神櫛別命をお祭りしている。 神櫛別命は景行天皇の御子で、讃岐公及び酒部公の祖先である。 貞観7年従五位上に叙せられた。 仁和4年5月国守管原道具公は、祈雨の祈願をした。 延喜の制で名神大社に列し、その後国府をこの城山麓に定めた時、府内鎮守の神としたので代々の国司、領主及び地方民の崇敬厚く、古来地方の名社として今日に及んだ。明治36年県社に列した。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
城山神社 この社は延喜式内大社にして讃岐国三社の一つである.伝説によれば第12代景行天皇の23年神櫛王勅命を受け南海の悪魚を討たんと讃岐の国に来たり櫛梨山の麓を根拠に祓戸の神、大麻、大歳の神に祈りこれを退治す。天皇これを賞し讃岐の国造に任す。王城山に城郭を築きこの国をよく治め給う。王、仲哀天皇の8年9月15日御歳125歳にして薨す。国人その徳を奉斉し城山の嶺明神ヶ原に廟を建て城山大明神神櫛別命として祀る。これ城山神社の由来なり、後清和天皇貞観5年従五位上に叙せられ、醍醐天皇延喜4年延喜式大社、明治36年県社となる。又仁和4年時の国司菅原道真公は大干魃に際し「城中数社茲社尢霊」と城山の神に雨を請う、神霊これに応え大雨ぞ降る。民人大いに喜び感極り念仏を唱えながら踊り狂う、これ今に残る念仏踊りにしてこの社尊厳の一事なり、神宝として讃岐国城山神社記 菅丞祭城山神文、渡唐天神御影他数点があり、境内境外数社を数える。時経て、天慶3年藤原純友、正平17年細川清氏の平価に罹りその都度御神体は印鑰、北谷の地に祀れ現在に至る。 現建物は、本殿明治26年 拝殿天明6年、社務所大正8年の再建で大正9年と昭和60年に大修理されている。 昭和63年11月吉日 社頭石碑 |
城山神社 人皇第12代 景行天皇の皇子 神櫛皇子は我讃岐国造の始祖にして南海に出没せし悪魚を討する等治績大いに挙り民深く其徳に服せり宝算120歳を以て薨去せられ民敬慕欽仰の餘神として是を城山の頂上に祀れり是此の神社の創始なり菅公の此の国に守たりし時偶々大旱苗種悉く枯れんとす公至誠祈願を捧げらるゝや忽に甘雨大いに降り全讃八十九郷爰に蘇生せり爾来神威赫々遠近崇敬至らざるなし貞治元年細川両家の争戦の時兵火に罹り御神体はかり印鑰の地に移して印鑰大明神と称し其の後この地に移し奉る実に延喜式内名神大県社なり 昭和47年歳旦 社頭掲示板 |
雨請天満宮 このお社は学問の神様で親しまれる菅原道真公をお祭りする。 仁和4年この年は、特に雨が少なく田植えもままならず作物は枯れ人民の苦しみはその極に達していた。 時の讃岐国の国司菅原道真公これを憂い、我が命にかえこれを救うため神に雨をお祈りされる。 この周辺に山は多いが一きわ城山の山は険しい、お社も数あるが城山の社はもっとも神霊である。 よって城山の神に祈る「神よ我心願聞き入れ下されば讃岐国89郷20万の人民はこぞって神威に応え末代までも神域を飾り玉幣を奉り敬神する。 もしこれに応えられなければ人民は神をうとんじ神威は失われ尊厳は地に落ち礼祭も疎らとなろう。我が心願聞き入れ給え」と城山に登り明神ヶ原において6日、6夜死を賭して雨を祈る。 神霊これに応え大雨が降る。人民喜び感極まり念仏を唱えながら踊り狂った。 これが今に残る雨乞い念仏踊りであって城山の神の尊厳を讃え菅公の威徳報恩のため菅公が都に帰られた後里人国司庁の近くに社を建て雨請天満宮として公を祭った。 後これを城山神社の境内に移し奉齋した。現建物は昭和50年の再建である。 社頭掲示板 |
城山神社 城山神社(きやまじんじや) 香川県坂出市府巾町西山。旧県社。神櫛別命を祀る。神櫛別命は景行天皇の皇子で讃岐公と酒部公の祖である(『新撰姓氏録』)。社伝によると神櫛別命は南海に住む悪魚を退治した勲功により讃岐の国造となり、館を城山に造営されたが120歳で薨ぜられた。よって城山にその霊を斎き祀ったといわれる。『官社考証』に本社は上古城山の絶頂にあったが、中古兵火にあい印鑰という所に移ったので、印鑰大明神と呼ぶ。のち今の地に移された(『特選神名牒』)ともいう。社地が城山の麓北谷にあるので北谷天神ともいわれる。貞観元年(859)従五位下を、同7年従五位上に叙せられ、延喜の制、名神大社に列する。 仁和4年(888)讃岐守菅原道真祭文をつくりこの神に雨を請うて、「境内山多けれど茲山独峻し。城中社多なれどこの社尤霊なるときは、八九郷二〇万口の民のため甘雨を降し賜え。しかればおおく玉幣を奉て、応験にむくわん」と祈られた。このことは、つとに名高い。城山は四国における神籠石の所在地としても知られる。例祭10月9日。 神社辞典 |