勝坂遺跡の西、崖の下に鎮座する。 小さな石の祠が祀られている場所から北へ10m余の所から清水が湧いており、鳥居が祀られている。 鎮座地の崖の上の大地は縄文中期の大規模遺跡である勝坂遺跡である。 |
有鹿谷の霊石 有鹿郷五カ村といわれた上郷、河原口、中新田、社家、中野の農業用水は、その水源が相模原市の勝坂にあります。この勝坂の水源にはこんな話があります。 今から約400年前、総持院に慶雄というお坊さんがいました。ある晩、神霊が慶雄の夢の中に現れて、「よい水源を教えるから、明日の朝、境内から飛び立つ白鳥の後を追え」と言いました。この鳥は白い鳥であったとも、金色の鳥であったともいわれていますが、翌朝、この鳥は慶雄を北へ北へと導いて、磯部村勝坂の集落で姿を消しました。 そこには洞窟があり、清水がこんこんと湧き出ていたので、ここを有鹿谷と名づけ、有鹿郷五カ村の水源としました。それからは毎年四月八日の祭礼には、有鹿神社のみこしがこの有鹿谷まで行き、6月14日まで、ご神体を洞窟に置いておくことがしきたりとなりました。このしきたりは「有鹿様の水もらい」と言われました。 勝坂のお年寄りの話では、ご神体はきれいな玉石ですが、不思議なことに、子供たちがいたずらしてそれを動かすと、いつの間にか必ず元の位置に戻っていたということです。 あるとき、いたずら小僧が、「こうしたらどうなるだろう」と、ご神体の霊石をほかに移し、縄でしばって動かないように何かにつないで家に帰ってしまいました。 ところが、家の中には大きな蛇が座敷いっぱいにとぐろを巻いていて、恐ろしくて家に入れなかったそうです。 その時は、蛇が家から出てくれるよう、大山阿夫利神社の神官にお詫びの祝詞を上げてもらって、ようやく洞窟へ戻っていただいたということですが、不思議なことに大蛇はそこの家の人には見えるが、ほかの人には見えなかったそうです。 こどもえびなむかしばなし第2集 |