名鉄犬山線線路南に鎮座する。 湧水の出る地に祀られたことに由来する社名と考えられる。 旧社地は現社地の西200m程の字天神というところにあつたとし、そこに清泉が湧出したという。 創立年代不詳であるが神階は正四位下・従三位上・従一位とあり、鎌倉期から室町期にかけて昇叙したようである。 慶応4年(1868)7月に、井上村の神明社に治定されたが、明治2年に廃し、当社が井出神社と確定された。 |
井出神社 御由緒 祭神 彌都波能神 社格 十一級 旧郷社 境内社 前之宮 井出の名は神社の東南の方に清水が夥しく湧出していたのにちなんで名付けられたと言われている。 創立は年月不詳であるが式内社として歴史は古く元文3年(西暦1738年)3月に再定されて居る。 明治40年8月郷社に列格し明治40年10月26日幣帛供進社に指定された。 神斎行事 祈年祭 3月下旬 疫神祭 7月輪くぐり 例大祭 10月第三日曜日 新嘗祭 12月上旬 江南市吏資料より 社頭掲示板 |
井上神社 井上は為天と訓べし○祭神詳ならず○井上庄井上村に在す、今神明と称す、(集説、府志) 類社 伊勢国朝明郡井手神社の條見合すベし 神位 國内神名帳云、從三位井出天神、 神社覈録 |
郷社 井出神社 祭神 不詳 一に井出宮と称す、創立年代詳ならすといへども、延喜式内社にして、國内神名帳に「從三位井出天神、」と見えさせ給ふ、明治5年郷社に列せらる。 社殿は本殿、拝殿、神饌所等を具備し、元文3年3月の再建に係る、境内地845坪(官有地第一種)あり、社辺に清泉涌出す、世之れを井出の清水と云ふ、因みに井上村の神明宮を以て、式の井出神社に擬するものありといへども、今學者皆当社を以て式社とす、特選神名牒に云く、 「今按、井上庄井上村神明宮を井出神社と云ふ説ありて、其拠は社の丑寅に古井あり、是井出と云ふ本基ならん、されど他に証なきを、宮後村の方は、是も社の丑寅に字清水と云て泉の涌出つる所あり、其邊に字井出屋敷と云ふもあり、又宝暦、天明、享和の棟札に、井出大明神又出ノ宮と記し、又天和の記に出ノ宮大明神社内六畝歩。とあれば、其証明らか也。」 明治神社誌料 |