極楽寺の南西に隣接して鎮座する。 毎年3月15日の豊年祭は、五穀豊穣を祈念する祭であり、性的祭事があることで知られる。別名閉乃固祭。(へのこさい)道祖神祭と田楽祭の要素が一緒になったものと考えられている。 男根を載せた神輿が担がれるのが特徴で、榊木の神符をもらうと結婚や性病除けに効用があるとされている。 『古語拾遺』に当社神体が木造の男茎であり、祭礼に特に大きな男茎を作つて持ち歩き、神符を授けて田毎にさすという行事が記されている。 |
由緒 世に名高い小牧長久手の合戦に、豊臣秀吉が陣取ったといわれる久保山。 そのふもとに続く俗称「縣の森」に当社は鎮座します。 御創建年代は古く、遠く弥生時代にさかのぼります。太古この地方一帯にすんでいた豪族が、「母なる大地は、父なる天の恵により受胎する。」との古代日本の民族思想により、五穀の豊穣、万物の育成、国土の発展を神に祈ったのにはじまります。 醍醐天皇の延長5年(927年)に編纂された「延喜式」には、田縣神社と記載され、また貞治3年(1364年)の「尾張国内神名牒」にも、従三位上田方天神とあって、古くから格式の高い神社であったことがわかります。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
田県神社 御祭神 御歳神 玉姫命 世に名高い小牧長久手の合戦に、豊臣秀吉が陣をひいたといわれる久保山。 そのふもとに続く俗称「県の森」、現在の小牧市田県町に当神社は鎮座します。 御創建年代はく弥生時代にさかのぼりま、「母なる大地は、父なる天の恵により受胎する。」との古代日本の民族思想により、万物育成、五穀豊穣を神に祈ったのにはじまります。 古来より男茎形を奉納する俗習があり「生むは生む」に通じて子宝、安産、縁結び夫婦円満、商売繁昌、厄除開運、諸病の平癒、交通安全の守護神として全国の崇敬者に格別の尊崇を受けています。 毎年3月15日に執り行われる「豊年祭」は特に有名で、桧で作られた直径60cm程の大男茎形を御輿に担ぎ御旅所より当神社へ奉納し世界平和と万物育成、豊年を祈願する祭です。当日は世界各国からの参拝者で境内は埋まりまさに「天下の珍祭」で私達祖先が生活の中から生み出し大切に守り続ける貴重な文化遺産ともいうべき神祭であります。 平成元年12月吉日 謹記 社頭掲示板 |
田県神社 世に名高い小牧長久手の合戦に際し、秀吉が前線の砦を築いた久保山。その麓に続く俗称「縣(あがた)の森」に当神社は鎮座しております。その御創建年は詳らかではありませんが、醍醐天皇の延長五年(927)に編纂された『延喜式』には「尾張国 丹羽郡 田縣神社」と記されております。また貞治三年(1364)の『尾張国内神名牒』にも、「従三位上 田方天神」とあり、古くから格式の高い神社であったことがわかります。いにしえの昔、この地方を治めた豪族丹羽氏が栄華を誇った痕跡は、神社周辺の数多の古墳遺跡からも伺い知れますが、その背景に神々への真摯な祈りがあった事は疑いようもありません。当神社にまつられている「御歳神」「玉姫命」も五穀豊穣と子孫繁栄に極めて篤い御神徳がございます。 御歳神について『古語拾遺』には、次のような神話が記されております。あるとき土地の者が田植えの前に百姓に牛肉を食べさせました。それを知った御歳神は大変怒り、田に蝗(いなご)を放して稲を枯らしてしまいます。困った土地の者達は、御歳神に白猪・白鶏・白馬を捧げて謝罪します。御歳神はこれを許し、糸巻き・麻の葉・鳥扇等と共に男茎を用いた蝗除けのまじないを教えました。こうして稲はもとの緑色を取り戻し、田は豊作となったと言います。 また当神社に合祀された玉姫命は、『尾張国熱田太神宮縁記』などの史料によると、爾波縣君祖大荒田命の娘として生まれ、尾張氏の建稲種命と結婚しました。子宝にも恵まれて幸せに暮らしていた夫婦でしたが、建稲種命は日本武尊のお供として出征し、遠江で運悪く戦死してしまいます。一人残された玉姫命でしたが、故郷に戻った後は母親として立派に子供達を育てあげ、民達のお手本として懸命に働き、在地の発展と子孫繁栄を成し遂げたそうです。 いつの世も欠かせぬ「願い」でありながら、現代人が忘れかけた五穀豊穣と子孫繁栄。その両願を兼ね備えた田縣神社は、全国から信仰を集め、また世界からも注目される、まさに稀代のパワースポットです。 公式HP |
大男茎形 豊年祭 毎年3月15日 稲の尊さ・万物の尊さ・生命の尊さを訴え、今年一年が豊かな年であることを祈る万物育成・世界平和を祈願する祭。 お供え物の大男茎形(おおおわせがた) 用材 木曽桧 長さ 約2.5m 重さ 約280Kg 毎年新しい大男茎形をつくります。 この男茎形を「豊年祭」に、御神前に万物育成・世界平和の願いをこめてお供えします。 社頭掲示板 |