田県神社
たがたじんじゃ


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【祭礼】

豊年祭
 「野も山も みなほほえむや 田縣祭」例大祭は国の内外で有名な豊年祭として、毎年三月十五日に執り行われます。この祭は直径六〇センチ、長さ二メートル余りの大男茎形(男性の性器)を毎年新しく檜で作成し、それを厄男達が御輿に担ぎ、御旅所から行列をなして当社に奉納し、五穀豊穣、万物育成、子孫繁栄を祈願する祭です。当日は世界各国からの参拝者で境内は埋まり、「見くらべて 笑えこの梅 あのさくら」の詩歌の如く、国境を越えてみな微笑む祭で、まさに「天下の珍祭」であります。
籤取式(くじとりしき)
 豊年祭に先だって、当日奉仕する「五人衆・綱持」を決定する儀式です。 
心身を清めた宮司が神前にて「籤(くじ)」を引き、御神意をうかがいます。
五人衆5名、綱持5名の計10名が厳粛かつ公正に選出されます。
斧入祭(おのいれさい)
 豊年祭に先立って執り行われるこの祭りは、豊年祭にお供えする大男茎形(おおおわせがた)を彫り上げる最初の神事です。素材は木曽檜(きそひのき)を用い、原木はその年々により若干の相違はありますが、長さ2メートル50センチ、直径50から60センチ、重量300キログラム程の樹齢200年から250年の檜を使用致します。
 3月3日当日、役員をはじめ奉製に従事される人、御輿担ぎ手である42歳の厄男の代表者達及び五人衆(男茎形を持つ女性)が参列して神事が行われます。
御輿(みこし)
 御輿には鳳輦(ほうれん)と御前御輿(ごぜんみこし)と陽物御輿(ようぶつみこし)という3種類があります。
 鳳輦とは、当社の祭神「御歳神」の御神像を御輿に納めて引きます。
 御前御輿とは、祭神玉姫命の背君である「建稲種尊」の御神像を御輿に納めて担ぎます。
 陽物御輿は、お供え物の『大男茎形』を御輿に納め担ぎます。
  陽物御輿の重量
  御輿のみの重量 約100キログラム
  陽物=大男茎形(おおおわせがた)
   素材、木曽檜 直径、約50〜60cm
   長さ、約2m50cm
   重量、約250〜300Kg


田縣神社豊年祭の御輿行列

小牧市指定無形民俗文化財
田縣神社豊年祭の御輿行列(お練り)
平成28年3月24日指定
江戸時代の文化13(1816)年に成立した「尾張国地名考」に、正月15日に行われていた祭の様子が記録されている。それによると、「祭の前日に神宮寺である久保寺で祈念穀の札をまとめて村中に配り、田毎に水口を祭る。また、男茎形を作る。祭当日は久保寺で富くじがあり、久保寺から、榊、神酒神供、本地仏(将軍地蔵)、藁人形の座像(裃、太刀を帯び、一尺八寸ほどの木製で朱色の大男根が付く)の順に持ち出され、田方の森(田縣神社)まで「於保辮能固、縣の森の於保辮能固」と換叫しながら練り歩く。神社に到着後、社内に本地仏、藁人形を入れ、神酒神供を供えて神拝する。」
とある。
現在では祭の有り様などが変化しているが、田縣神社まで男茎形を担いで練り歩き、神社に供えるという祭の形態が、種もみを仏寺から神社へ地域を練り歩いて手渡すという古い神事の形態を伝えるものとして貴重である。なお、豊年祭のうち、御旅所を出発して男茎形(現在は大男茎形)が田縣神社に奉納されるまでの御輿行列と、その出発前に行われる御前祭を無形民俗文化財として指定している。
小牧市教育委員会

社頭掲示板



田県神社

たがたじんじゃ、愛知県小牧市大字久保一色。旧郷社。御歳神・玉姫命を祀る。俗に県の宮とも称される。創祀は不詳であるが、社伝によれば当地は尾張国開拓当時大荒田命(大県神社の祭神)の邸跡の一部といい、往古より万物成育の神である御歳神を奉祀していたが、大荒田命の代に至って玉妊命が夫神建稲種命、の薨後子女を伴い父君大荒田命のもとに帰られ、父の命をたすけ郷土開発の功積多大であったためその神徳と治続とを慕い同社に合祀したものという。延喜式内社に列し、『本国神名帳集説』に従三位田県天神、『奉唱国内神名帳』に従一位田方天神とみえる。『特選神名牒』には「本社に正月15日祈年祭ありて、男茎形を持あるきて終に内陣に納む。其時神符をうけて田毎にさすなり。是等のこと古語姶遣の故事に由ありて聞ゆるは、いと古き祭なるべく……」とある。当社は、特に万物育成・子孫繁栄の守護神として広く衆庶に信仰されている。例祭は3月15日で豊年祭と称され、天下の奇祭として著名で行列の先頭に大きな男根を描いた大幟をおし立て、次に巨大な木製の男根を御輿に納め、続いて玉姫命の夫神建稲種命の武者姿の御興を多数の厄男が白丁を着用してかつぎ、青年の捧持する大神をしんがりに神幸する。大神は鳥居をくぐると同時に、群衆が殺到して大神の枝葉をむしりとってしまい、これを神棚に祀ると幸福豊年になるといわれている。当日は近隣よりの参詣者で股賑を極める。

神社辞典



田縣神社

田縣は多加多と訓べし○祭神武田王、(考証)〇久保一色村に在す、今春日井郡に属す、(集説)味岡庄有縣森此社乎、(同上)○旧事紀、(皇孫本紀)日本武尊子武田王、尾張國丹羽建部君祖、
神位
国内神名帳云、從三位田縣天神、(一本作田方)

神社覈録



郷社 田縣神社

祭神 不詳 俗にあがたの宮と称す、創立年代詳ならすといへども、延喜式内社にして(式は丹羽郡とせり、蓋当時是地丹羽郡に属せしなるべし)、奉唱国帳に「從三位田方天神、」参考に「一本作正四位下田方」集説に「久保一色村、今属春日井郡味岡庄、有縣森、蓋此社乎、」と見えたリ、明治5年5月郷社に列せらる、
社殿は一宇にして、境内地222坪、内150坪は官有地第一種、他は民有地第二種たり、因みに当社祭神は不詳なりと雖も近時学者多く正月15日の神事により大歳神なるべしとせり、即ち特選神名帳に云く、「今按、本社に正月15日祈年祭ありて、男茎形を持あるきて、終に内陣に納む、其時神符をうけて田毎にさすとなり、是等のこと古語拾遺の故事に由ありて聞ゆるは、いと古き祭なるべく、祭神は種々説あれとも、大歳神なることしるし、」
と、然れども度曾延経氏の神名帳考証に曰く、
「田縣神社、武田王國帳云、田方天神、旧事紀云、日本武尊、武田王、尾張国丹羽建部君祖、姓氏録、縣主、日本武尊之後也」
と、姑く附記して後考に備ふ、因みに伴氏考証の劈頭に、黒川春村氏、「國人大服道輔云、当社の神髄は木造也、男茎なり、祭神にはことに大きなるものを造りて持出つると云々」と記せり。

明治神社誌料






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