日本毛織一宮工場の北に鎮座する。 この地は倭姫命の中島宮趾とする。酒見神社には倭姫社も祀られておりこの倭姫社は、伊勢に向っての遙拝所として、壁のない「吹きぬけ」に作られている。 この神社は珍しく北面しており、鳥居から一直線上に目久井古墳があって、古墳は酒見神社の祭神を葬ったところとの語り伝えがある。 黒酒、白酒を納めたといわれる鎌倉時代の常滑焼大甕が社殿のそばに、酒を造るのに用いたといわれる酒槽石が社前にある。 当社を式内裳咋神社に比定する説もある。 |
由緒 御祭神、天照皇大御神、倭姫命、酒弥豆男神、酒弥豆女神 其の昔、倭姫命は勅名を受けられ天照皇大御神の霊代を永久にお祀り出来る地を求めて旅される途中、尾張の神戸である、当村にお出でになられたのは今から2000有余年前の事で、ご一行は現在の無量寺にあったと云われる神戸屋敷にお泊りになり、御神体は宮山の此の地にお祀りになられました。そして村民の奉仕により社殿が建設せられたのが、当酒見神社の始めであると伝えられています。 当時の神戸村は40戸で1戸平均5人と見て200人の村民がこぞって建設に当り出来上った社殿は、総丸柱、草屋根にて高く、下から見れば恰も天井の如く、梯子をかけて御神体を其の中程に祀る、下は腰板をつけず、吹抜きにて只下に板敷をはるのみであり、後世に吹抜きの宮と呼ばれたと云います。現在に伝えるのが本殿裏に祀る倭姫神社であり、この社殿は全国でも珍しい吹抜きの社殿であります。次にご覧頂きたいのは、本殿向かって左側にある倭姫命御愛用の姿見石であります。これも非常に貴重なもので現在の鏡の代りで倭姫命が当村にお出で遊ばされるに当たり、わざわざ石工に作らせられたものであると伝えられています。 さて、当神社は其の名のとおり酒に最も縁の深い神社であり、日本に於いては清酒の醸造が最初に行われた所であります。その際に使われた甕が今も本殿裏の両側に埋められております。これは当神社第一の宝物であります。時は紀元1514年、今から1138年前、第五十五代文徳天皇、斉衡3年9月、大邑刃自、小邑刃自、の酒造師が勅命を受け伊勢皇太神宮より当宮山に遣わされ伊勢神宮にお供えする御神酒を造らせになりました。その際に持ってこられた、大甕2個が地下1メ-トルに埋められております。日本は地球の温帯に位置し春夏秋冬の区別がはっきりしているので、良い季節に醸造を行えば良いのですが、支那(中国)では大陸気候なので寒暖の差が激しく朝晩では夏と冬程度違います。そこで地熱を利用できる方法が取られ、地下1メ-トルの所に甕をいけ、そこで醸造が行われたのであります。即ち、支那式醸造法で行われた甕が此処にあるのです。この外境内正面右側に岩船という石があります。当神社宝物の一つでもあります。なる程石で出来ていて船の型をしているので船の名がつけられていますが、実は清酒を造る日本に於ける最初の試みに酒を絞る台として使用された酒船であります。石質が極めて軟く房州石や大谷石の類で酒甕と一緒に御使者がお持ちになったと伝えられております。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
酒見神社 第11代垂仁天皇の王女倭姫命が伊勢の地を求めて旅される途中、垂仁天皇の14年(646)6月1日当村に渡来された際、村民の奉仕により社が建設せられたのが酒見神社の始めでありできあがった社は総丸柱で草屋根にて高く後世に吹抜きの宮と呼ばれたと言います。 現在に伝えるのが本殿裏に祀る倭姫神社であります。 第55代文徳天皇斎衛3年9月(1514)当村は上質の米が取れる事から遣唐使でもあったと言われる大邑刀自(おおむらとじ)、小邑刀自(こむらとじ)二人の酒造師が皇太神宮より大酒甕二個を携帯され当宮山に遣わされ伊勢の翌年の祭に供える酒を造らしめ給うた、と文徳録にあります、当時どぶ酒等は各地で醸造されたいましたが、清酒の醸造は酒見が最初とあり、酒見神は清酒醸造の元祖の神社といえ事になります。 第71代後三条天皇延久元年(1729)伊勢内宮より式典等に明るき神宮神主の伊勢守良明に神宮神主と兼任の体にて二百石を与え、従来の本神戸、新神戸、新加神戸に馬寄を合わせて今伊勢の庄の名を賜り、以来九百年間、平安時代より明治時代を通じて代々世襲をもって尾張今伊勢の庄神戸神主たりと定められたのです。 社頭掲示板 |
市指定交化財 酒見神社蔵 半円方形帯変形四獣鏡 径13.7mm厚さ0.2mmの彷製鏡 四頭の変形獣に半円と方形の交互帯、櫛歯・鋸歯文帯が取り巻いている図柄がすばらしい。 当地の目久井古墳から出土した三面のうちの一面だが、いま酒見神社の所蔵品となっている。 昭和39年1月11日 指定 一宮市教育委員会 社頭掲示板 |
栄水の井 禁足の聖地に古泉あり栄水の井と伝ふ。上古神戸の民清泉の浄水を汲みて白酒黒酒を作り皇大神宮へ進貢せしならむ。 中世以降代々の神主清泉に神饌を清め残るを浴びて禊ぎをし除厄招福を祈願せしに瑞兆度々現れたりと古伝にあり。 世界第2次大戦時に酒見神社の社殿全焼したるも栄水の井の霊異の守護により井中に御動座の大神の御神体は安泰にましましき。 栄水の井の霊水を身に注ぎかけ邪念を祓ひて除厄招福を祈願せば無病息災・延命長寿・家内安全・商売繁昌に霊験あらたかなるべし。 茲に霊泉を聊か改組して広く世人に開放する。 掬ふ手に神の恵の伝ひくる 酒見の宮の御井の真清水 昭和49年 社務所 社頭掲示板 |