沙沙貴神社
ささきじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】沙沙貴神社 近江国 蒲生郡鎮座

   【現社名】沙沙貴神社
   【住所】滋賀県近江八幡市安土町常楽寺1
       北緯35度8分12秒,東経136度8分3秒
   【祭神】少名彦神 (配祀)大毘古神 仁徳天皇 宇多天皇 敦實親王
       『神名帳考証』少彦名命
       『近江輿地志略』「第一少彦名命第二仁徳天皇第三宇多天皇第四敦實親王」
       『神社覈録』「大彦命或云四座第一少彦名命第二仁徳天皇第三大彦命第四宇多天皇敦實親王
       『神祇志料』「狡々城山君祀大彦命」
       『特選神名牒』『地理志料』「大彦命」

   【例祭】4月4日 例祭
   【社格】旧県社
   【由緒】天応6年(1184)正二位を勅授
       弘化5年(1848)3月の再建
       明治9年10月郷社
       大正9年10月県社

   【関係氏族】佐々木氏
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】
   【公式HP】 沙沙貴神社
   【社殿】本殿流造間口五間
       権殿・拝殿・宝藏・神輿庫・社務所・楼門

   【境内社】少童神社・影友稲荷神社・加茂社・八神社・愛宕社

古墳時代に沙沙貴山君(狭狭城山之公)という陵戸(みささぎのへ。大王家の御陵を守護する役目を司った部。古代の職業部の1つ)がこの地に居住し、この神社に自らの部の祖神である大毘古神を祀った。


由緒

当神社、悠遠なる神代の昔、少彦名神の御霊跡に起こり、社号の「沙沙貴」は少彦名神に起因するといわれています。 上古にあっては、大 古神の末裔、沙沙貴山君の一族の氏子として尊奉され、中古以来、宇多天皇・敦 親王の末裔にあたる、佐々木源氏の一族祖神として尊崇殊に厚く、京極家・黒田家・三井家・佐々木家・また、佐佐木高綱の末孫である乃木希典大将が祖廟として本神社を崇敬されたことは有名であり、今日も全国約三百万人が佐佐木源氏の末孫として由縁があり、広く敬拝されています。 旧蒲生郡・安土・金田・馬淵・武佐・平田・桜川・朝日野・地区にわたる、沙沙貴三十三郷七十余ケ町の総鎮守、ことには・常楽寺・上出・中屋・慈恩寺・小中・の氏神として、御神威益々高く輝き給う御社であります。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




沙沙貴神社

名称 沙沙貴神社=ささきじんじゃ商標登録
註=沙々貴神社・佐々木神社の文字は公式には使用しません。
別名 佐佐木大明神=ささきだいみょうじん商標登録
祭神 御本殿・四座五柱の神々を「佐佐木大明神」ともうしあげます。
@少彦名神=すくなひこなのかみ(ササキ・鷦鷯郷の祖神)
A大毘古神=おおひこのかみ(※沙沙貴山君の祖神)
B仁徳天皇=おおささきのすめらみこと(幼名=大鷦鷯尊)
C宇多天皇=うだのすめらみこと(宇多源氏の祖神)
 敦実親王=あつみのみこ(佐佐木源氏・近江源氏の祖神)
JR安土駅南方、七千坪のうっそうと繁った森を境内に待つ。古く沙沙貴山君が崇敬した延喜式内社である。
中世からは近江の守護佐佐木氏の氏神として厚い信仰を受けて栄えた。
「佐佐木源氏発祥之地」である。
平安、鎌倉時代の建築様式を継承して、江戸中期に再建された茅葺の楼門や、本殿、権殿、拝殿、東西廻廊など大型木造建築八棟がならび、すべてが重要文化財に指定され、随所に佐佐木氏(佐佐木源氏)の四ツ目結い(七ッ割平四ツ目)の定紋がみられる。
ご利益
全国の佐佐木源氏ゆかりの人たちの遠いご先祖をおまつりする神社である。
佐佐木源氏のご先祖敬拝・平和と繁栄・交通安全・災難除け・開運招福・商売繁盛・厄除け・縁結び・旅行安全・子授け・安産・子育て・学業成就・出世その他
「勾玉のお守り」
沙沙貴神社には、磐境(いわさか)の前に「勾玉」(まがたま)をおまつりしている。
「勾玉」には、胎児に似た形から「生命の種」の意味がある。
「勾玉」の信仰は、子子孫孫の繁栄はもとより、物事の弥栄(平和と繁栄)をお祈りする信仰です。
開運招福・商売繁盛・交通安全・災難除け・厄除け・縁結び・子授け・安産・子育て・学業成就・出世・平和と弥栄=子子孫孫の繁栄の・お守り
「願かけ石」
沙沙貴神社の磐境(いわさか)にお参りをして、小さな白い石をいただき、「お祈り」をささげ、満願の後は「納め所」(磐境の周囲)に返納して感謝する。
鷦鷯
「ササキ」
酒器 ササキ
篠笥 ササケ
沙沙貴ササキ
狭々城ササキ
佐佐木ササキ
近江國蒲生郡(蒲生野)の一帯を古くは「鷦鷯郷」(ササキノゴウ)・「篠笥庄」(ササケノショウ)・「沙沙貴郷」(ササキノゴウ)・「佐佐木庄」(ササキノショウ)・などと称し、鷦鷯の歴史や、沙沙貴山君(狭々城山君)の歴史から始まり、中世以降の「佐々木源氏発祥之地」となった。
おもな祭事
1.沙沙貴十二座神事
佐佐木源氏の中世の「苗」(みょう)を継承する神事。
4月、5月、10月の年3回。
特殊神饌(川エビ・大豆の薄塩炊き、花びら餅、わっぱ物相ご飯)をご神前に供え、縁りの人たちが各座に参列、振る舞いの酒席が持たれる。
2.「近江源氏祭」10月10日に全国の佐佐木源氏ゆかりの人たちがご神前に参集して「舞楽」を奏し、遠いご先祖をしのび、平和と繁栄を祈る。
3.水無月の大祓「茅の輪くぐり』の神事(6月末の大祓〕
●大晦日から元旦にけての初詣は、自由に参拝出来ます。
(新年の初穗料ご献納の人たちには、撤饌や神酒が授与されます。)
※沙沙貴山君一狭々城山君とも書く。
蒲生郡・神崎郡の大領であったが、中世以降の佐佐木氏と融合した。
沙沙貴神社の神主家は系譜を継承している。
花木1.「うらしま草」の自生地(4月末から、5月始めの連休の頃)
2.「なんじゃもんじゃ」(ヒトツバタゴ)
  新緑に雪がかかった様子の花木(5月中頃)
3.四季折々に茶花などが咲きます。
県指定重文沙沙貴十二座
西廻廊
表四座 高木座 行安座 正徳座 吉貞座
裏四座 新正座 玄膳座 光定座 行守座
東廻廊
若宮四座 横谷座 瀬平座 友定座 円行座

由緒書



沙沙貴神社

式内 沙沙貴神社
御祭神 沙沙貴大明神 四座五柱
第一座 少彦名神
第二座 大毘古神
第三座 仁徳天皇
第四座 宇多天皇 敦実親王
御由緒 当社は悠遠なる神代の昔、少彦名神の御霊跡に起り社号の沙沙貴は少彦名神に起因するといわれます。延喜式内の国幣社として国土鎮護の神と崇められた極めて古い御創祀であります。
上古にあっては、大毘古神の末裔沙沙貴山君の一族の氏神として尊奉され、中古以来宇多天皇敦実親王の末裔にあたる近江源氏佐々木一族の祖神として尊崇殊に厚く、京極家・黒田家・三井家また佐々木高綱の末裔である乃水大将が組廟として本社を崇敬されたことは有名であり、今日も全国釣三百万人の佐々木一族が敬□されています。
旧蒲生郡 安土 金田 馬淵 武佐平田 桜川 朝日野地区にわたる沙沙責三十三郷七十余ケ町の総鎮守、ことには常楽寺 上出 中屋 小中 慈恩寺の氏神として御神威益々高く輝き捨う御社であります。

社頭掲示板



沙沙貴神社

「沙沙貴神社」は古代の「沙沙貴山君」が崇敬した「延喜式」の式内社である。
古から近江の国蒲生野一帯を鷦鷯・篠笥・沙沙貴・佐々木の郷(庄)などと称し中世以降は佐々木大明神」の称号と共に、きぬがさ山観音寺城(佐々木城)の城下町として信仰を集め「佐々木源氏発祥之池」となった、
平安・鎌倉時代の建築様式を継承し、江戸中期に再建された茅葺の楼門や東・西廻廊と、四国丸4亀藩主京極家によって弘化5年(1848)に造築された本殿・権殿・拝殿など大型木造建築八棟はすべて重要文化財に指定されいる。
境内の随所に佐佐木氏(佐佐木源氏)の四ツ目結い(七ツ割四ツ目)の定紋が見られ全国の字多源氏・佐佐木源氏(京極家・黒田家・三井家・佐佐木家など二百二十余姓)ゆかりの人達が信仰する神社である。

社頭掲示板



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