油日神社
あぶらひじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】川枯神社 二座 近江国 甲賀郡鎮座
          (奥宮)岳神社

   【現社名】油日神社
   【住所】滋賀県甲賀市甲賀町油日1042
       北緯34度53分13秒,東経136度14分58秒
   【祭神】油日大神 (配祀)罔象女命 猿田彦命
   【例祭】5月1日 例大祭
   【社格】
   【由緒】聖徳太子が社壇を建立
       元慶元年(877)従五位下「三代実録」
       天元元年(978)例祭が行われる
       明応2年(1493)本殿造営

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】油日山
   【祭祀】江戸時代は「岳大明神」と称していた
   【公式HP】 油日神社
   【社殿】本殿三間社流造・檜皮葺
       回廊・楼門・拝殿

   【境内社】八幡神社・白鬚神社・岳神社

創祀年代不詳であるが、用明天皇または天武天皇の時代の創建と伝えられる。社伝によれば、当社南東の油日岳の頂上に大明神が降臨し、油の火のような大光明を発したので油日の名がつけられたという。油日岳の頂上には、岳大明神と呼ばれる奥宮が祀られている。
またその名から油脂の神様として崇敬を集め石油業界からの崇敬も厚い。
県下でも数少ない現存する本格神社建築で、本殿・拝殿・楼門・回廊はいずれも重要文化財である。


油日神社

重要文化財 油日神社拝殿
甲賀郡甲賀町大字油日
桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入り、正面及び背面軒唐破風付、檜皮葺 桃山時代
油日神社の草創は明らかでないが、三代実録(元慶元年=887)には、「油日神」の記述が見られるので、この頃にはすでに神社としての形態を持っていたことがわかる。
建物は建築様式、技法よりみて桃山時代の建立と考えられる。昭和37年の修理の際には格子戸と縁廻りが復原整備された。
拝殿は四方に格子戸を建て縁を廻し、内部は床拭板張りに棹縁天井とする。柱上には舟肘木を置いて軒桁を受け、二軒疎垂木とする。
この拝殿は軒唐破風をつけて正面を蟇股で飾り、簡素な中にも軽快で華やかさを加えた優れた建物である。
平成6年3月
滋賀県教育委員会

社頭掲示板



油日神社

重要文化財 油日神社本殿一棟
所有者 油日神社
所在地 甲賀郡甲賀町大字油日
指定  明治34年3月27日
油日神社の創立は明らかではないが、『三代実録』(877)に「油日神」の記述が見られるので、この頃には既に神社としての形態を持っていたことがわかる。
この本殿は、明応2年(1493)に建立されたもので、正面三間、奥行二間の内陣(身舎)の前面に葺き降ろしの一間通り(庇)を取り込み外陣とし、さらに正面中央間に向拝(孫庇)を付ける。周囲三方には刎高欄付き切目縁を廻し、後端に脇障子を付け、正面に浜床と階段を設ける。 内陣は奥行二間を前後二室に区切る。丸柱を立て、正面と東側面前寄りの間は板扉で、それら以外は板壁とする。
床は内陣後室が最も高く、天井は格縁天井である。外陣は大面取り角柱、菱格子戸引き違いの開放的な意匠で、床は低く、天井は化粧屋根裏とする。組物ば平三斗で、外陣と向拝の桁行両端を連三斗とし、向拝には手挟を付け、中備えは外陣正面と向拝に蟇股を入れる。脇障子には舞楽を舞う珍しい薄肉彫刻を入れる。
この本殿は外陣を前室とする三間社流造で、動植物の透かし彫りの蟇股などの意匠に室町時代後期の特徴がよく表れている。また、建立と後世修理の棟札十数枚が附指定され、その経緯を知ることができることも貴重である。
平成10年3月
滋賀県教育委員会

社頭掲示板



油日神社

県社油日神社
滋賀県甲賀郡油日村大字油日鎮座
御祭神 油日神
 東本殿 罔象女神
 西本殿 猿田彦神
御神徳
太古油日嶽ニ鎮リ坐シ 皇国鎮護ノ御霊徳赫奕トシテ朝野ノ崇敬格別ナリ荒魂ハ無双ノ勝軍神トシテ武門ノ尊崇ヲ集メ給ヒ和魂ハ農耕ノ水神トシテ神恩遠近ニ光被シ給フ
御創立
三代実録ニ
元慶元年十二月 陽成天皇丁卯朔三日乙巳授近江国正六位上油日神従五位下
ト即チ1100余年前既ニ国史現在ノ古社タリ。
例祭 5月1日
国宝建造物
本殿 明応2年上棟
楼門回廊 永禄9年上棟
氏子 油日村及大原村大字櫟野
崇敬者
古来「甲賀ノ総社トシテ崇敬広ク明応年間本殿本殿修築ノ奉加亦近郷一円ニル。現ニ杣・横田・大戸諸流一帯ノ地ニ及フ

社頭掲示板



文化財

重要文化財(国指定
本殿(附:棟札15枚) - 明応2年(1493年)建立。三間社流造、檜皮葺。
拝殿 - 桃山時代建立。入母屋造妻入、檜皮葺。
楼門(附:棟札3枚) - 永禄9年(1566年)建立。入母屋造、檜皮葺。
廻廊2棟 - 永禄9年(1566年)建立。檜皮葺。
選択無形民俗文化財(国選択)
油日の太鼓踊り
県指定文化財
福太夫神面 1面 附:ずずい子1躯
県選択無形民俗文化財
奴振り


油日神社

ご神徳、天地創成の母胎である「アブラ」に宿る「ヒ」(日、火、霊)の大御魂と戴き、萬象根元の神、諸願成就の神、油の祖神と仰ぐ。
創祀、国史見在社 三大実録に「元慶元年12月陽成天皇丁酉朔3日己巳授近江国正六位上油日神従五位下」と。社伝縁起には用明或いは天武の朝と言う。住吉は油日岳を神山として奉祀。
朝野の崇敬、元慶以降天下諸神増一階の都度に増階に預り、明応2年上棟の本殿棟札には「正一位油日大明神」とある。円融天皇天元元年には橘朝臣敏保卿が勅を奉じて参向。
中世文書に「江州に無隠大社」「甲賀の総社」とあり、明応再建本殿の奉加には郡内一円347名から米一八五石五斗六升五合、金子四一貫四〇〇文その他が寄進され、毎年の油日まつりには甲賀武士の中から五頭殿が巡年参向、天正14年には「甲賀中惣」より永代神領百石の寄進、甲賀武士五十三家はその総氏神として尊信、幕末には神前に血判の盟約書をささげている。都内有名古社との間には親子の縁を称し、分霊と伝え、祭日を特定するなど広い崇敬の跡を残している。
神領、正徳5年覚帳に「油日大明神境内御除地十一町三反七畝歩」と除地証文に「野山御除地千百三十四町歩」の山手米にて祭礼費用に充つとある。
旧社格、明治39年7月県社に列格。
摂末社、白鬚神社御祭神猿田彦神は油日神鎮座のサキダケ彦として祭祀、永正7年再興の棟札あり、神体山頂上の岳神社には油日神荒御魂及び罔象女神を祭る。境内神社は明治44年村内の十社を合祀、祖霊社は昭和25年氏子の祖霊を祀る。現社家慶長11年神道裁許状吉次より十九代

滋賀県神社庁



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