神体山である八王子山または牛尾山と呼ばれる山の山頂(378m)に巨大な磐座(いはくら)と奥宮の社殿があり、日吉信仰の発生、とくにのちの東本宮系諸社の原始的な祭祀が発源した場所である。 西本宮は、天智天皇の大津京遷都に伴い大和の三輪山の神を勧請したものとされる。 |
由緒 日吉大社は、霊峰比叡を背にして、びわ湖を一望できる絶景の地にひろがりをみせています。その広大な神域は、うっそうたる樹林におおわれ、多くの社殿とともに神々しい雰囲気をかもしだしています。それは、古くから日吉大社の境内そのものが神々の集合場所であり、各社殿は、それら神々の鎮座される唯一の社として祀られてきたからでしょう。むかしから、境内鎮座社は108社といわれてきたほどです。 現在では、日吉大社の社殿のほとんどが、国宝または重要文化財に指定されており、貴重な文化遺産として保護されています。また、神代から伝わる神社史をひもといてみても数々の歴史遺産を知ることができます。 こうして、われわれ現代人に温故知新の尊さを教え、古くから厚い信仰にささえられてきた日吉大社は、神々の偉大さを顕現するかのように、いろいろな信仰の形が伝えられ、いまも残っています。 魔除けや厄除け、鬼門除けの信仰は京都御所の鬼門・猿ケ辻や江戸城(今の皇居)の鬼門。赤坂などの守護のあらわれであり、また、日枝神社や日吉神社は、全国各地の城郭の鬼門を守護する意味で祀られたという歴史もあります。 また家内安全の信仰は、「日々吉(ひびよし)」とする日吉大社の社名にもあらわれていますし、商売繁盛の信仰は、「日本三大大黒」と称される当社の西本宮御祭神に仰ぐことができます。 一方、日吉大社の歴史は、古く神代、奈良、平安、鎌倉、室町、安土桃山、江戸と続く各時代の胎動・発展期に深くかかわってきました。室町時代の強訴の神輿や信長の比叡全山焼打ち、秀吉の日吉三橋寄進、家康の日吉東照宮建立など、枚挙にいとまがないほどです。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
日吉大社 ● 歴 史 日吉大社は俗に「山王権現」とも称され、東・西両本宮を中心に、山王二十一社をはじめ、古くは境内社108社、境外社108社の神々が鎮座し、現在でも、約13万坪(40万平方米)の広大な境内に、数多くの社が鎮座しております。東本宮は、古事記には「大山咋神、亦の名を山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐し・・・」とあり、神代の昔より比叡山に鎮坐する地主神であります。一方、西本宮は、天智天皇7年(667)に大和国三輪山に」坐す、大己貴神(大物主神)を大津京の遷都に当たり勧請し、大津京をはじめ、国家鎮護の神として祀られました。又、日吉大社が京都の表鬼門に当たり、京都御所の鬼門・猿ケ辻、東京赤坂の日枝神社などに代表されるように、国家鎮護・方除けの神として祀られ、さらに、天台宗(比叡山延暦寺)の護法神、或は加護神として祀られ、現在でも、全国約3,800余社の護分霊社を有しております。 ● 沿 革 都が平安京に遷り、京都が日本の中心となると、当社が都の表鬼門(東北)に当ることから、国民並びに都の鬼門除け更には国家の鎮護、方除け、魔除け、災難除けの祈願の社とされ、延久三年(1071)後三絛天皇の行幸がなされ、以来歴代の慣例となるほどとなった。土木建築の守護神として武家の崇敬も篤く、武家が一国の城主に封ぜられると、その城及びその封ぜられた国の鎮護の神として分霊を遷し奉られた。伝教大師が比叡山に天台宗の延暦寺を建立し開宗されると、天台宗の護法神、あるいは伽藍神として仏教とも深い関係を持つに至り、「日吉茶園」(京阪石坂線坂本駅隣)にて栽培され、産茶の起源となった。延暦寺の勢力が強大になるにつれ神仏習合が進み、本地垂迹説(神は仏の仮の姿として現われたとする説)により寺院の様に扱われ、また朝廷への強訴の際には僧兵により神輿が担ぎだされた。 建物及び神輿は、織田信長の焼き討ちによって総て灰燼に帰し、それ以後の再建であり桃山・江戸初期のものである。又、明治の神仏分離に伴う廃仏毀釈により仏教施設が除かれて、現在の景観となった。中世以前の古絵図には広い神域に根本多宝塔、彼岸所等が描かれており、当時の姿をうかがい知ることができる。 古来より、猿は日吉大神の神使いであり、この神猿を「マサル」と呼び『魔が去る・何よりも勝る』として縁起の良いものとされてきた。 この神猿により厄魔は退散し開運招福、一家は益々繁栄すると信仰されている。 日吉大社の神使である神猿の特徴は鳥帽子をかぶり、御幣をかついでいる点である。京の都の鬼門を守りつづけている証として、現在でも京都御所の外壁北東の位置(猿ケ辻)にこの神猿の彫刻が施されている。 西本宮楼門の屋根下四隅に施された彫刻。本殿前の見張りとして、厄魔退散の象徴とされている。 平成16年は申年であり、方位除け・魔除けを始めとして家内安全や商売繁盛、必勝祈願などに特別な御神徳をうけることができると考えられる。 1月1日 午前5時 大戸開神事 3月第一日曜日 午前10時 山王祭 神輿上げ 3月15日 午前10時 牛神楽祭 4月3日 午前7時 山王祭 大榊神事 4月12〜15日 山王祭 5月26日 午前9時 山王礼拝講 5月27日前後 午前10時 裏千家献茶祭 6月1日 午前11時 東照宮例祭 6月上旬 庖丁祭 7月28〜29日 唐崎神社みたらし祭 10月下旬 招待七五三祈祷 11月12日 午前11時 もみじまつり 育樹祭 11月第二土曜日 午前11時 もみじまつり 講員大祭 11月17日 午前11時 もみじまつり 表千家献茶祭 12月31日 午後3時 正月祭 大祓式・除夜祭 毎月1日・14日 毎月1日 毎月28日 月次祭 東照宮月次祭 唐崎神社月次祭 唐崎神社みたらし祭 公式HP |
国宝 建造物 日吉大社 西本宮拝殿 一棟 (大津市坂本五丁目) この拝殿は、方三間(桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、桧皮葺、妻入りの建物です。 柱真は四方とも開け放して、屋根の妻飾りは木連格子、回り縁は高欄がつき、天井は中央部が一段と高くなった折上小組格子天井となっています。 日吉大社の他の同じ形の拝殿のうちでは、一番手の込んだ構造となっており、天正14(1586)年本殿と同時に建てられたものです。 昭和39(1964)年5月に重要文化財に指定されました。 大津市教育委員会 平成4(1992)年3月 社頭掲示板 |
国宝 建造物 日吉大社西本官本殿 一棟 (大津市坂本五丁目) この本殿は、桁行五間、梁間三間、日吉造桧皮葺の建物てす。 日吉造は、一名を聖帝造ともいい、全国では、日吉大社にだけみられる特殊な構造です。 つまり、三間・二間の身舎の前面、両側面の三方に廂がめぐらされた形で、側面や背面にその特色を見せています。また、正面には、一間の向拝と浜床をつけ、縁高欄がまわりをめぐっています。 天正14(1586)年に復興されたものですが、慶長2(1597)年に改造されています。 昭和36(1961)年に国宝に指定されました。 大津市教育委員会 平成4(1992)年3月 社頭掲示板 |
山王総本宮 日吉大社 御祭神 東本宮 大山咋神 家の安全・土地守護・縁結び・子孫繁栄 西本宮 大巳貴神 方災除・家業繁栄・福徳開運 由緒 大山咋神は地主神として神代の昔から比叡山の守護神と鎮座され大巳貴神は天智天皇が大津に都を定められた時に国家鎮護の神として奈良の三輪山より遷し祀られました今からおよそ1300年程前のことであります。 この二柱の大神を日吉大神と称し歴代天皇を始め武将から庶民に至るまで厚い崇敬の誠をささげてきました。 なかでも1200年前伝教大師が比叡山延暦寺を開基して以来当神社を一山の守護神と仰ぎ、日吉山王信仰は全国各地に一層広まったのであります。 現在日吉大神をまつるお社は全国に及び3800余社を数え尊い日吉大神の御神徳が広く仰がれています。 社頭掲示板 |