日吉大社
ひよしたいしゃ 所在地 社名



























   【延喜式神名帳】日吉神社(名神大) 近江国 滋賀郡鎮座
          (旧地)金大巖

   【現社名】日吉大社
   【住所】滋賀県大津市坂本本町 5-1-1
       北緯35度4分22秒,東経135度51分53秒
   【祭神】東本宮=大山咋大神、西本宮=大己貴大神
   【例祭】4月14日 例祭
   【社格】名神大 廿二社 一宮 官幣国社
   【由緒】貞観元年(859)西本宮祭神に正二位、東本宮祭神従五位上
       天元5年(982)7月に圓融天皇幣帛使派遣『日本紀略』
       延久3年(1071)10月後三條天皇日吉社行幸『扶桑略記』
       長暦3年(1039)天下の諸社に並んで官幣
       永保元年(1081)11月二十二社に列す
       寿永2年(1183)大宮正一位
       元亀元年(1570)9月12日織田信長比叡山焼打一屋余すことなく僥亡
       天正12年(1584)造営

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初より此の地に鎮座

   【祭祀対象】本来神体山
   【祭祀】古代より継承されている
   【公式HP】 日吉大社
   【社殿】西本宮本殿日吉造 東本宮本殿日吉造
       拝殿・楼門・社務所

   【境内社】
        上七社(山王七社)
         本宮 西本宮 大己貴神 大宮 大比叡 西本宮
         本宮 東本宮 大山咋神 二宮 小比叡 東本宮
         摂社 宇佐宮 田心姫神 聖真子 宇佐宮
         摂社 牛尾神社 大山咋神荒魂 八王子 牛尾宮(八王子山)
         摂社 白山姫神社 白山姫神 客人 白山宮
         摂社 樹下神社 鴨玉依姫神 十禅師 東本宮境内
         摂社 三宮神社 鴨玉依姫神荒魂 三宮 三宮宮(八王子山)
        中七社
         摂社 大物忌神社 大年神 大行事 東本宮境内
         末社 牛御子社 山末之大主神荒魂 牛御子 牛尾宮拝殿内
         摂社 新物忌神社 天知迦流水姫神 新行事 東本宮境内
         末社 八柱社 五男三女神 下八王子 東本宮参道
         摂社 早尾神社 素盞嗚神 早尾 境内入口そば階段上
         摂社 産屋神社 鴨別雷神 王子 境外・止観院そば
         末社 宇佐若宮 下照姫神 聖女 宇佐宮境内
        下七社
         末社 樹下若宮 玉依彦神 小禅師 東本宮境内
         末社 竈殿社 奥津彦神・奥津姫神 大宮竈殿 西本宮境内
         末社 竈殿社 奥津彦神・奥津姫神 二宮竈殿 東本宮境内
         摂社 氏神神社 鴨建角身命・琴御館宇志麿 山末 東本宮参道
         末社 巌滝社 市杵島姫命・湍津島姫命 岩滝 東本宮参道
         末社 剣宮社 瓊々杵命 剣宮 白山宮境内
         末社 気比社 仲哀天皇 気比 宇佐宮境内

   【境内図】 境内図

神体山である八王子山または牛尾山と呼ばれる山の山頂(378m)に巨大な磐座(いはくら)と奥宮の社殿があり、日吉信仰の発生、とくにのちの東本宮系諸社の原始的な祭祀が発源した場所である。
西本宮は、天智天皇の大津京遷都に伴い大和の三輪山の神を勧請したものとされる。


由緒

日吉大社は、霊峰比叡を背にして、びわ湖を一望できる絶景の地にひろがりをみせています。その広大な神域は、うっそうたる樹林におおわれ、多くの社殿とともに神々しい雰囲気をかもしだしています。それは、古くから日吉大社の境内そのものが神々の集合場所であり、各社殿は、それら神々の鎮座される唯一の社として祀られてきたからでしょう。むかしから、境内鎮座社は108社といわれてきたほどです。
現在では、日吉大社の社殿のほとんどが、国宝または重要文化財に指定されており、貴重な文化遺産として保護されています。また、神代から伝わる神社史をひもといてみても数々の歴史遺産を知ることができます。
こうして、われわれ現代人に温故知新の尊さを教え、古くから厚い信仰にささえられてきた日吉大社は、神々の偉大さを顕現するかのように、いろいろな信仰の形が伝えられ、いまも残っています。
魔除けや厄除け、鬼門除けの信仰は京都御所の鬼門・猿ケ辻や江戸城(今の皇居)の鬼門。赤坂などの守護のあらわれであり、また、日枝神社や日吉神社は、全国各地の城郭の鬼門を守護する意味で祀られたという歴史もあります。 また家内安全の信仰は、「日々吉(ひびよし)」とする日吉大社の社名にもあらわれていますし、商売繁盛の信仰は、「日本三大大黒」と称される当社の西本宮御祭神に仰ぐことができます。
一方、日吉大社の歴史は、古く神代、奈良、平安、鎌倉、室町、安土桃山、江戸と続く各時代の胎動・発展期に深くかかわってきました。室町時代の強訴の神輿や信長の比叡全山焼打ち、秀吉の日吉三橋寄進、家康の日吉東照宮建立など、枚挙にいとまがないほどです。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




日吉大社

● 歴 史
日吉大社は俗に「山王権現」とも称され、東・西両本宮を中心に、山王二十一社をはじめ、古くは境内社108社、境外社108社の神々が鎮座し、現在でも、約13万坪(40万平方米)の広大な境内に、数多くの社が鎮座しております。東本宮は、古事記には「大山咋神、亦の名を山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐し・・・」とあり、神代の昔より比叡山に鎮坐する地主神であります。一方、西本宮は、天智天皇7年(667)に大和国三輪山に」坐す、大己貴神(大物主神)を大津京の遷都に当たり勧請し、大津京をはじめ、国家鎮護の神として祀られました。又、日吉大社が京都の表鬼門に当たり、京都御所の鬼門・猿ケ辻、東京赤坂の日枝神社などに代表されるように、国家鎮護・方除けの神として祀られ、さらに、天台宗(比叡山延暦寺)の護法神、或は加護神として祀られ、現在でも、全国約3,800余社の護分霊社を有しております。 
● 沿 革
都が平安京に遷り、京都が日本の中心となると、当社が都の表鬼門(東北)に当ることから、国民並びに都の鬼門除け更には国家の鎮護、方除け、魔除け、災難除けの祈願の社とされ、延久三年(1071)後三絛天皇の行幸がなされ、以来歴代の慣例となるほどとなった。土木建築の守護神として武家の崇敬も篤く、武家が一国の城主に封ぜられると、その城及びその封ぜられた国の鎮護の神として分霊を遷し奉られた。伝教大師が比叡山に天台宗の延暦寺を建立し開宗されると、天台宗の護法神、あるいは伽藍神として仏教とも深い関係を持つに至り、「日吉茶園」(京阪石坂線坂本駅隣)にて栽培され、産茶の起源となった。延暦寺の勢力が強大になるにつれ神仏習合が進み、本地垂迹説(神は仏の仮の姿として現われたとする説)により寺院の様に扱われ、また朝廷への強訴の際には僧兵により神輿が担ぎだされた。
建物及び神輿は、織田信長の焼き討ちによって総て灰燼に帰し、それ以後の再建であり桃山・江戸初期のものである。又、明治の神仏分離に伴う廃仏毀釈により仏教施設が除かれて、現在の景観となった。中世以前の古絵図には広い神域に根本多宝塔、彼岸所等が描かれており、当時の姿をうかがい知ることができる。
古来より、猿は日吉大神の神使いであり、この神猿を「マサル」と呼び『魔が去る・何よりも勝る』として縁起の良いものとされてきた。
この神猿により厄魔は退散し開運招福、一家は益々繁栄すると信仰されている。
日吉大社の神使である神猿の特徴は鳥帽子をかぶり、御幣をかついでいる点である。京の都の鬼門を守りつづけている証として、現在でも京都御所の外壁北東の位置(猿ケ辻)にこの神猿の彫刻が施されている。
西本宮楼門の屋根下四隅に施された彫刻。本殿前の見張りとして、厄魔退散の象徴とされている。
平成16年は申年であり、方位除け・魔除けを始めとして家内安全や商売繁盛、必勝祈願などに特別な御神徳をうけることができると考えられる。
1月1日 午前5時 大戸開神事
3月第一日曜日 午前10時 山王祭 神輿上げ
3月15日 午前10時 牛神楽祭
4月3日 午前7時 山王祭 大榊神事
4月12〜15日 山王祭
5月26日 午前9時 山王礼拝講
5月27日前後 午前10時 裏千家献茶祭
6月1日 午前11時 東照宮例祭
6月上旬 庖丁祭
7月28〜29日 唐崎神社みたらし祭
10月下旬 招待七五三祈祷
11月12日 午前11時 もみじまつり 育樹祭
11月第二土曜日 午前11時 もみじまつり 講員大祭
11月17日 午前11時 もみじまつり 表千家献茶祭
12月31日 午後3時 正月祭 大祓式・除夜祭
毎月1日・14日
毎月1日
毎月28日 月次祭
東照宮月次祭
唐崎神社月次祭
唐崎神社みたらし祭

公式HP



国宝 建造物

日吉大社 西本宮拝殿 一棟
(大津市坂本五丁目)
この拝殿は、方三間(桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、桧皮葺、妻入りの建物です。
柱真は四方とも開け放して、屋根の妻飾りは木連格子、回り縁は高欄がつき、天井は中央部が一段と高くなった折上小組格子天井となっています。
日吉大社の他の同じ形の拝殿のうちでは、一番手の込んだ構造となっており、天正14(1586)年本殿と同時に建てられたものです。
昭和39(1964)年5月に重要文化財に指定されました。
大津市教育委員会
平成4(1992)年3月

社頭掲示板



国宝 建造物

日吉大社西本官本殿 一棟
(大津市坂本五丁目)
この本殿は、桁行五間、梁間三間、日吉造桧皮葺の建物てす。
日吉造は、一名を聖帝造ともいい、全国では、日吉大社にだけみられる特殊な構造です。
つまり、三間・二間の身舎の前面、両側面の三方に廂がめぐらされた形で、側面や背面にその特色を見せています。また、正面には、一間の向拝と浜床をつけ、縁高欄がまわりをめぐっています。
天正14(1586)年に復興されたものですが、慶長2(1597)年に改造されています。
昭和36(1961)年に国宝に指定されました。
大津市教育委員会
平成4(1992)年3月

社頭掲示板



山王総本宮 日吉大社

御祭神
東本宮 大山咋神
家の安全・土地守護・縁結び・子孫繁栄
西本宮 大巳貴神
方災除・家業繁栄・福徳開運
由緒
大山咋神は地主神として神代の昔から比叡山の守護神と鎮座され大巳貴神は天智天皇が大津に都を定められた時に国家鎮護の神として奈良の三輪山より遷し祀られました今からおよそ1300年程前のことであります。
この二柱の大神を日吉大神と称し歴代天皇を始め武将から庶民に至るまで厚い崇敬の誠をささげてきました。
なかでも1200年前伝教大師が比叡山延暦寺を開基して以来当神社を一山の守護神と仰ぎ、日吉山王信仰は全国各地に一層広まったのであります。
現在日吉大神をまつるお社は全国に及び3800余社を数え尊い日吉大神の御神徳が広く仰がれています。

社頭掲示板



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