石体神社
せきたいじんじゃ
鹿児島神宮 境内社
所在地 社名















   【延喜式神名帳】鹿児島神社 大隅国 桑原郡鎮座
          (本社)鹿児島神宮

   【現社名】石体神社
   【住所】鹿児島県霧島市隼人町内2496-ロ
       北緯31度45分21秒  東経130度44分27秒
   【祭神】天津日高彦穗穗出見尊
   【例祭】3月 11日 石体神社大祭
   【社格】
   【由緒】和同元年(708)現在の鹿児島神宮の位置に遷

   【関係氏族】
   【鎮座地】この地は高千穂宮を経営された正殿の在った所
        和同元年(708)現在の鹿児島神宮の位置に遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

御神体は本殿の中に納められている石で見ることはできない。当石体神社の位置は御祭神天津日高彦穂穂出見尊、豊玉比売命が都として高千穂宮を経営された正殿の在った所で、そのまゝ社殿として祀ったもので鹿児島神宮の起りでもあります。鹿児島神宮は和同元年(708)現在の鹿児島神宮の位置に遷


石体神社

当石体神社の位置は御祭神天津日高彦穂穂出見尊、豊玉比売命が都として高千穂宮を経営された正殿の在った所で、そのまゝ社殿として祀ったもので鹿児島神宮の起りでもあります。和同元年(708)現在の鹿児島神宮の位置に遷り、その跡に社殿を造ったのが石体神社であります。
御妃は御子うがや葺不合尊を鵜の羽根で葺く産床の茸き終えないちにお産みになった程それ程お産の軽かった方でその御神名よりして伺えます。現在本殿の前の石塔に小石が沢山ありますが、御神体の代りにその一つを頂いてお産後は一つ加えてお返しする慣習があります。岩日帯はこの石体(いわた)神社より出た言葉といふ説があります。

社頭掲示板



石体神社

御創建は遠く神代の頃、御祭神彦火火出見命が高千穂宮を営んでいたところと伝えられる旧社殿地。
石體神社にある記念碑には平安時代期の頃、社殿に火を放たれたとの伝えがあるので、その後再興されたものと伝えられる。
石體神社は古くより安産成就の神として信仰厚く、境内に積まれた丸石をお守りとして持ち帰ると安産にご利益があると伝わっています。

公式HP



石体神社

石體神社は安産祈願の神社として有名です。霧島周辺の若いお母さんはもちろん、遠くから安産祈願に訪れる方が多い神社です。安産祈願として小石を持ち帰ります。
石體神社には普通は宮司さんがいらっしゃらない小さい神社ですが、戌の日には宮司さんがいらっしゃって安産祈願が行われます。
安産祈願は5ヶ月に入った最初の犬の日にお参りします。お参りする時は岩田帯を買っていって、安産祈願をしてもらいます。岩田帯を巻くのも妊娠五ヶ月の戌の日と言われていますね。ちなみに石體神社は岩田帯発祥の地と言われていますが本当でしょうか。
拝殿の裏手、本殿との間に小石が積まれている所があります。安産祈願にお参りした時に、この小石を1個持ってかえります。そして無事に子供が生まれたら河原の小石を1個加えて2個の小石をお返しします。
小石はどれも円やかな石でお母さんの思いが詰まっているようです。中には子供の名前やお礼の言葉が書いてある、仄々とする小石も見受かられます。

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