比奈麻治比売命神社(旧地)
ひなまじひめみことじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】比奈麻治比売命神社 隠岐国 知夫郡鎮座
          (現在社)比奈麻治比売命神社

   【現社名】比奈麻治比売命神社(旧地)
   【住所】島根県隠岐郡西ノ島町
       北緯36度8分23秒  東経133度4分44秒
   【祭神】
   【例祭】
   【社格】
   【由緒】延暦18年(799)5月比奈麻治比売神「日本後紀」
       承和5年(838)10月従五位下
       貞観13年(871)閏8月19日正五位下
       元慶2年(878)5月17日正五位上
       貞享5年(1688)寸大明神と称
       宝暦7年(1757)濟大明神と称
       安政2年(1855)に峠越に社地を設定して遷
       明治5年村社
       明治13年元の濟の旧社地に遷
       昭和3年またもや現社地に遷

   【関係氏族】
   【鎮座地】元は字濟(寸とも)の山上に鎮座した
        安政2年(1855)に峠越に社地を設定して遷
        明治13年元の濟の旧社地に遷
        昭和3年またもや現社地に遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       

   【境内社】

現在の社地から東北4Kmの地に旧社殿が残っている。


比奈麻治比売命神社(旧地)

平成23年、私たちは「済の社」に行きました。
昭和3年に御神体を別の社に移したのですよ。80年の歳月が経っています。それなのに、壊れてはいるものの、この凛とした姿はさすが姫様です。 この宮殿の下の土中に磐座(いわくら)がありました。
永正16年(1519)、慶長5年(1600)の棟札が残っているのですが、さすがに400年前の建材ではなさそうです。石製の玉垣に明治の文字が刻まれているのをみると、壊れかけの社もその頃のものではないかと思います。この杜の中で、何度も建てかえられているのですね。信仰の深さを感じます。その本殿の前に拝殿があました。さらにその左手に籠舎があったのですが、現在の「尾和」の拝殿の横の平地にそのまま移設しました。

http://hina.sakura.ne.jp/hina/hime9.html



比奈麻治比売命神社(旧地)

旧社地の済の地となると藏ノ谷から尾根道を通つて約4Kmも行つた先の入江の上であつて、西ノ島としても東北の最果ての地である。無論人家は一軒もなく、かつて開拓されたらしい跡もない。つまり到底村氏神の祭地としてふさはしい処とはいへないのであるが、然るにもかかはらず、古くかかる所に鎭座してゐたといふ事は、一に此神が所謂霊験神として信仰された事によるものといはざるを得ない。

式内社調査報告



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