現在の社地から東北4Kmの地に旧社殿が残っている。 |
比奈麻治比売命神社(旧地) 平成23年、私たちは「済の社」に行きました。 昭和3年に御神体を別の社に移したのですよ。80年の歳月が経っています。それなのに、壊れてはいるものの、この凛とした姿はさすが姫様です。 この宮殿の下の土中に磐座(いわくら)がありました。 永正16年(1519)、慶長5年(1600)の棟札が残っているのですが、さすがに400年前の建材ではなさそうです。石製の玉垣に明治の文字が刻まれているのをみると、壊れかけの社もその頃のものではないかと思います。この杜の中で、何度も建てかえられているのですね。信仰の深さを感じます。その本殿の前に拝殿があました。さらにその左手に籠舎があったのですが、現在の「尾和」の拝殿の横の平地にそのまま移設しました。 http://hina.sakura.ne.jp/hina/hime9.html |
比奈麻治比売命神社(旧地) 旧社地の済の地となると藏ノ谷から尾根道を通つて約4Kmも行つた先の入江の上であつて、西ノ島としても東北の最果ての地である。無論人家は一軒もなく、かつて開拓されたらしい跡もない。つまり到底村氏神の祭地としてふさはしい処とはいへないのであるが、然るにもかかはらず、古くかかる所に鎭座してゐたといふ事は、一に此神が所謂霊験神として信仰された事によるものといはざるを得ない。 式内社調査報告 |