加志波良比古大神が御降臨の際海上より渡航になり 始めて発見された島を見附島と称し 陸に着かれたところを着崎といい それより 神楽畷を経て神行 今の地に御鎮座という。 見附島は、鵜飼駅の東の沖に浮かぶ島。 また、弘法大師・空海が布教のために佐渡島からやってきた際、最初に目についた(見つけた)島であることから命名されたと地名伝承が残っている。 |
見附島と空海 弘法大師空海が唐の國に渡り恵果阿闍梨のもとで修業され三國伝来の伝承者と認められ金胎両部の潅頂をうけ密教伝来の三杵を授けられた。唐の僧達はその三杵を奪い返さんと日本に帰ろうとする空海を海岸まて追いつめて釆た。その時空海は東方を望まれ「密教有禄の所に行きて「我を待つべし」と三杵を大空高く投げられた。帰国された空海は三杵を求めて海路佐渡より能登沖を通られた時波の音とともに法華経を誦する声が間えてきたのて島を頼りに看岸された。 そこで村人達の案内により山の桜の樹に探し求めていた三杵の一つ五鈷杵が光り輝き白夜法華経を唱えていた。空海は深くお喜ひになりここに一宇を創建され吼木山法住寺と名づけられた。 そして三鈷杵は高野山の松の樹に独鈷杵は佐度の小比叡山の柳の樹に掛かつていた。それより島を見附島と呼ひ縁結びの神を祭り海灘の守り神と共に小社を安置し4月18日を祭日とし舟を繰り出し島上に登り祝詞を奉して来た。 しかし今は歳月による風化に加え能登沖地震や台風の被害により島に住時を偲ぶ雄姿はなく島上の社も崩壊したまゝ今日に到っています。 平成12年7月 見附の社 社頭掲示板 |