配志和神社
はいしわじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】配志和神社 陸奥国 磐井郡鎮座
          (旧地)配志和神社【旧地】

   【現社名】配志和神社
   【住所】岩手県一関市山目館56
       北緯38度56分35秒、東経141度7分23秒
   【祭神】高皇産靈神 瓊瓊杵尊 木花開耶姫命
   【例祭】5月1日 例祭 11月3日 例祭
   【社格】旧県社
   【由緒】景行天皇40年日本武尊三神を「岩座山」に勧請
       仁寿2年(852)8月7日従五位下「日本文徳天皇実録」
       応仁以来荒廃
       慶長6年(1601)宮司慶信再興
       貞享3年(1686)中里村から現在地へ移転
       明治8年県社
       明治9年郷社
       大正4年県社

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初、磐座山に鎮座していた
        中古、現在地に遷座

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿流造
       幣殿・拝殿・神饌所・社務所

   【境内社】愛宕神社・八幡神社・八雲神社・白鳥神社・三宝荒神社・浅間神社・日吉神社

当初、磐座山に鎮座していたが、中古、現在地に遷座したといわれ、磐座山を本山・奥の院と呼び、現在地を新山という。
現在磐座山には二基の石碑があり、東側の大きい方が火石輪神で西側の碑は弘仁4年(813)文屋綿麿の関連碑という。


由緒

配志和神社由緒
延喜式神名帳にも記載されており、創立は古く今から1900年前人皇12代景行天皇のとき皇子日本武尊詔を奉じて軍を率い遠く道の奥に入り蝦夷の地にいたる。進んで営を此の地、中津郷の山要峰に移し(神社地内)その嶺頂に登り賊を平治せんことを祈り自ら矛を収め三神を鎮斎し東奥鎮護の神として祠を建て、火石輪と称した。今の配志和神社である。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




配志和神社

姥杉
 本樹は、配志和神社の本殿前の「夫婦杉」同様に市内最古、最大といわれており白鳥神社の御神木として大切に保護され境内入口にあって象徴的なたたずまいを醸し出しています。
 目通周6,1、樹高36.9(単位m)で樹齢は千年以上と推定されています。
 一関市指定天然記念物
夫婦杉
 本殿前の二本の大きなスギは、市内では最古、最大級で、配志和神社の御神木として大切に保護されています。
 この樹木は北側が目通周7.18南側が4.83、樹高は、いずれも42(単位m)、樹齢は、千年以上と推定されます。
 風雪に耐えながら永きにわたり寄り添うようにそそり立つその姿に、地元では何時しか夫婦杉と言うようになりました。
 一関市指定天然記念物
一関市指定文化財
物件 配志和神社社殿・・・・一棟
所有者 一関市中里字沢田144配志和神社代表岩山芳樹
推定年代 江戸時代中期 正徳元年
「県社配志和神社略記」によると、「本殿養老元年9月16日改築、拝殿正徳元年9月16日改築」とあり、本殿は拝殿と同一時代とみなす。
特徴 拝殿と本殿を幣殿でつなぐ複合社殿。
構造手法優れ、市内神社中随一。
拝殿二手先組・化粧屋根裏構架、本殿欄間彫刻等みるべきものがある。延喜式内社、磐井郡二座のうち西磐井・流の総鎮守神。祭神高皇産靈尊・木花開耶姫命・瓊瓊杵尊を祭り、はじめ磐座山に鎮座して火石輪と号し延喜以来配志和神社と改め、中古現在地に移す。始輪大明神・穂志波社・梅森明神・蘭梅明神(梅の宮)・丑蔵社とも呼ぶ。磐座の旧社を本山と呼び、奥の院という。今の社を新山と呼び新山宮と申し唱える。寛永中火災によって縁起文書を焼失したが、古来の天孫降臨・供奉稚児行列々祭典を今に伝える。(宝暦風土記)

社頭掲示板



配志和神社

一関藩の諸物  配志和神社社殿
 一関市山目字館の配志和神社は延喜式神名帳(えんぎしきしんめいちょう)に、舞草(もくさ)神社とともに奥州百座のうち磐井郡二座として記されている。祭神には瓊々杵尊(ににぎのみこと)、高皇産霊尊(たかみすひのみこと)、木花開耶姫命(このはなさくやひめ)をまつる。旧地、中里村から現在地へ移転したのは貞享(じょうきょう)3(1686)年と伝えられる。
 現在の神社は、本殿と拝殿を幣殿(へいでん)でつなぐ複合社殿。本殿は方一間入母屋造鉄板葺(ほういちまいりもやづくりてっぱんぶき)。床の直下に土台を敷き、小高い山の上に設置されている。
 本殿のらん間の透かし彫りは花実を配し、桃山時代の作風を思わせる。内部は内陣・外陣(げじん)に二分され、奥に神棚がある。創建年代については明確ではないが、貞享3年の当社移転時と、正徳元(1711)年再建とする説がある。建築意匠からは1700年前後の建造と考えられ、本殿は市内に現存する社寺建築物の中では最も古い。
 拝殿は桁行(けたゆき)三間、梁間(はりま)二間の入母屋造鉄板葺、一間向拝付(こうはいつき)、礎石建(そせきだて)。軒は二重の繁垂木(しげたるき)、正面一間に板格子扉(いたこうしとびら)、その左右と妻側に引板戸を開き、まわりに横板壁を張る。軒下の組物は尾垂木(おだるき)のついた唐様肘木二手先(からようひじきふたてさき)組み上げの複雑な変化を見せ、また正面の向拝は、海老虹梁(えびこうりょう)・大瓶束(たいへいづか)式の化粧屋根裏構架をあらわしている。
(一関市博物館 工藤 武)

http://www.iwate-np.co.jp/isan/isan940.html



配志和神社

二段式庭園 蘭梅山の麓の緩傾斜地を二段に整地し、上段に岡池(社務所脇)、下段に主庭を配置した築山泉水式を基本とした庭園てある。
1700年頃大槻家の庭園を造つた晋朴の造園といわれており、日本百庭園に入っています。
蘭梅山
太宰府に島流しにされた菅原道真の子敦茂が、当地に来山し父親が丹精こめて育てていた蘭鷹梅の実を植えたところ当山一帯に咲き乱れ高貴な香りを放っていたので「蘭梅山」という名がついた。
延喜式内配志和神社
今から約1800年位前、延喜式内社として、日本武尊(景行天皇の皇子)が奉つたのがはじまりで、以来広く地方の守護神として、今日に至っている。
姥杉(神木千年杉)
根元回 11m、根元径 3.5m
高さ 39m 
社殿の両脇にあり、二木共同年のものと思われる。
一関市

社頭掲示板



配志和神社

一関市指定文化財
物件 配志和神社社殿 一棟
所有者 一関市中里字沢田144配志和神社代表 岩山芳樹
推定年代 江戸時代中期 正徳元年
「県社配志和神社略記」によると、「本殿養和元年9月16日改築、拝殿正徳元年9月16日改築」とあり、本殿は拝殿と同一時代とみなす。
特徴 拝殿と本殿を幣殿でつなぐ複合社殿。
構造手法優れ、市内神社中随一。
拝殿二手先組・化粧屋根裏構架、本殿欄間彫刻等見るべきものがある。延喜式内社、磐井郡二座のうち西磐井・流の総鎮守神。祭神高皇産霊尊・木花開耶姫命・瓊々杵尊を祭り、はじめ磐座山に鎮座して日石輪と号し延喜以来配志和神社と改め、中古現在地に移す。始輪大明神・蘭梅明神(梅の宮)・丑蔵社とも呼ぶ。岩座の旧社を本山と呼び、奥の院という。今の社を新山と呼び新山宮と申し唱える。寛永中火災によって縁起文書を消失したが、古来の天孫降臨・供奉稚児行列等祭典を今に伝える。(宝暦風土記)

社頭掲示板



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