創祀由緒は2説ある。 @延暦元年(782)、陸奥出羽按察使・鎮守府将軍に任命され下向した大伴家持が、高旗山山頂で蝦夷平定の祈念を行い、その後平定することができたため神恩に感謝し奉斎したことに始まり、延暦3年(784)に現在地に遷座したとする。 A欽明天皇11年(550)、高旗山山頂に瀬織津比売命が顕現したことに始まり、延暦3年(784)蝦夷征伐にあたって神助があり、誉田別尊をも勧請して現地に遷。 初鎭地については、高幡山説・下守屋村三ン森峠八幡台説・三森峠八幡平説の諸説がある。 |
宇奈己呂和気神社 當社ノ儀ハ、往古安積郡高幡山ニ御鎭座ノ処、延暦3年按察使藤原朝臣小黒丸、征東大將軍大伴宿禰家持蝦夷誅伐ノ御立願アリ。霊験新ナルニ依テ、両郷奏シテ安積臣継守二命セラレ、神教ヲ伺ヒ奉ルニ、高幡山前後ノ川ノ落合山崎地二社殿御造営ス。此時、弓箭ノ神ナルニ依テ八幡大神ヲ相殿二奉祀ス。則今ノ社地是ナリ。 明治11年神社明細帳 |