於呂閇志神社【旧地】
おろへしじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】於呂閇志神社 陸奥国 膽澤郡鎮座
          (現在社)於呂閇志胆澤川神社

   【現社名】於呂閇志神社【旧地】
   【住所】岩手県奥州市胆沢区
       北緯39度6分16秒  東経140度53分33秒
   【祭神】
   【例祭】
   【社格】
   【由緒】延暦20年(801)坂上田村麻呂の勧請(於呂閇志神社)
       弘仁元年(801)嵯峨天皇の勧請(於呂閉志神社)
       明治40年5月24日胆沢川神社と於呂閉志神社合併

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初は、猿岩の頂上付近にあり
        その後 少し下がったとこに遷座
        さらに現在地に遷座
        明治40年5月24日胆沢川神社と於呂閉志神社合併現在の地に

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       

   【境内社】

石淵ダム湖畔猿岩の地に鎮座する。
「岩手・宮城内陸地震」。深い爪あとを残したこの地震は、猿岩近辺にも大きな損害を及ぼした。結果、復旧工事と安全確保の為、自由に参拝することができなくなってしまった。


由緒

当神社は、明治4年に「於呂閉志神社」と「胆沢川神社」を同床に合祀した延暦17年(789)の延喜式神名帳に記載された神社です。
胆沢川神社は大同2年(807)坂上田村麻呂の勧請と伝えられ、祭神は水速女命として水神様を祀る神社であり、祭日は9月12日である。
於呂閉志神社は、元来石淵地区の猿山に鎮座する。「於呂閉志神社略縁起」によれば広仁元年(801)、嵯峨天皇の勧請と伝えられています。祭神は、須佐男之命、木花咲耶姫命を祀り、祭日は、4月29日、この春の例祭には、神の「よりしろ」となる椿、隈笹、お札からなる「御守札」を配る作神様として神事がみられます。
本殿には方一間木造入母屋造で、桟唐戸には黒漆塗に金泥をもって竹に雀、九曜紋並びに桐紋を描いた旧伊達宗章廟厨子が収納されています。
江戸時代初期の様式美が窺えます。
平成2年 月
胆沢町教育委員会

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




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