石蜂山上に鎮座する石神社の里宮。海辺に鎮座する。 石峰権現社の別当寺として祭られた薬師堂であった。 |
石(いその)神社・葉山神社由緒及び沿革 石峰山、石(いその)神社は石峰山頂(352m)の大岩を御神体とし、樹齢六百年の大杉の古木が数本ある。往古は石峰権現社と称し、仁寿2年(852)国より従五位下を賜わったと、三代実録(文徳実録)に記されている。前面の社は、葉山神社で石峰権現社の別当寺として祭られた薬師堂で、鎌倉末期の創祀と伝えられている。祭られている薬師如来像は運慶の作と伝えられ、随神十二神将は室町時代の作である。本殿には、寛文(1661)の板書誓文や元禄12年(1699)及び宝暦年間(1751〜1763)の絵馬がある。代々の伊達藩主が参詣され、境内には二代忠宗公手植と伝える「ひいらぎ」の古木二株があったが、一株は昭和55年12月の暴風雨の際、石峰山頂の古木二本と共に倒れた。 平成10年3月27日 建立 雄勝町教育委員会 社頭掲示板 |
王子御墓所 神亀年中天竺釈旦国より、千葉大王の皇 子といわれる人が、空船に乗って、牡鹿 郡の浜に流れ寄り、此の地を宮郷(みや こ)と言い王浦と言った。(現尾浦の事で ある) のちに、皇子晩年になり、 桃生郡王浜の台に移り住み、網漁の漁法 を伝え、祖神として崇められた。 現在の大浜の地名は、往古「王の住んだ 所の意」が地名の由来であることが、風 土記書上により、知られている。 奥の石碑が王の墓であり、墓所地上方を 台道囲と言う。 また安永九年の一明院書上には、一古墓 所之事、千葉大王之王子御墓所、杉一本 、回り弐丈三尺とある。 社頭掲示板 |
葉山神社 石神社・葉山神社 石峰山 石神社(いそのじんじゃ) 御祭神 石峰大神・端津姫命(たぎつひめのみこと) 創 祀 神功皇后の御代およそ1800年前 神 階 従五位下 日本文徳天皇実録(六国史)記載 社 格 延喜式内国幣社 延喜式巻十 「神名帳」記載 初 代 桓武帝十七代末孫千葉介太郎平朝臣義清 御神徳 安全祈願(交通・海上・建築・家内)・安産・合格 例 祭 旧暦4月8日(春季例祭) 新暦9月26日(秋季例祭) 南三陸特有のリアス式海岸線に位置する石神社は、山岳修験者の霊場として古より守り伝えられてきた厳かな霊気のなか石峰山山頂に御鎮座されており、大浜地区鎮座の葉山神社をはじめ周辺地区には里宮が建立されその本宮として崇められて参りました。 社伝によれば、およそ1800年前(神功皇后の時代)の創祀とされ御祭神は交通の安全を守る海の女神である宗像三女神の端津姫命(たぎつひめのみこと)を祀り、海上交通の発展により金華山と共に南三陸の漁場を守護し漁師や養殖業者に篤く信仰されてまいりました。 近年は自動車交通の発達により交通安全御守護の宮として崇敬されております。 里宮の葉山神社からの参拝道には数々の伝説の地が今なお残されている。 春・秋の例祭においては神職や氏子をはじめ有志により山頂まで登山され御神体の磐座にて古式のまま祭祀が行われております。 石峰山里宮 葉山神社(はやまじんじゃ) 御祭神 少名彦名神(スクナヒコナノカミ) 修験開山 延徳二年室町時代千葉家41代目玉岸秀峯法印 法印号 石峰山日光寺延命院 市明院(一明院) 御神体 薬師如来坐像(鎌倉時代作)随身十二神将 御神徳 厄除け・健康・病気平癒・医薬向上 例 祭 旧暦4月8日(例祭) 元旦祭 新暦1月1日 春祈祷祭 1月4日 鎌倉時代に石神社遥拝の里宮である薬師堂として建立され神仏習合時代の延徳二年から明治初年までは市明院(一明院)として羽黒派修験者により祭祀が行われておりました。 神仏確立令以後は葉山神社として十二年に一度(亥年)の式年大祭である薬師如来像・十二神将像のお祭りされる本殿内神殿御開扉大祭や例祭・元旦祭・春祈祷祭などの年間祭祀をはじめ個人祈祷も受付け様々なお祭りが行われております。 境内末社 葉山神社境内に稲荷神社・祖王神社・山祇神社・作楽神社・興玉神社・疫王神社が御鎮座されております。 公式HP |