石神社(龍口神社境内社)
いしかみのやしろ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】石神社 陸奥国 桃生郡鎮座
          (旧地)石神社【旧地】

   【現社名】石神社(龍口神社境内社)
   【住所】宮城県宮城県石巻市前谷地龍ノ口山11
       北緯38度31分44秒、東経141度10分52秒
   【祭神(龍口神社)】豊玉彦命
       (配祀)火産靈命 磐長姫命 須佐之男命 誉田別命
       (合祀)宇迦之御魂神

   【例祭】4月28日 春季例祭 (龍口神社)
   【社格】旧村社
   【由緒】由緒不詳
       明治41年12月龍口神社に合祀

   【関係氏族】
   【鎮座地】旧社地は前谷地の国道108号線から龍口山に入る道路脇の大石
        明治41年12月現在地に遷

   【祭祀対象】本来は大石を祀る
   【祭祀】
   【社殿】石祠
       

   【境内社】

旧社地は前谷地の国道108号線から龍口山に入る道路脇の大石で社殿の設けはない。明治41年12月、龍口山に鎭座する龍口神社に合祀されたが、その後も旧來通り里人の信仰の対象となつている。


龍ノ口神社

龍ノ口神社 (前谷地字龍ノ口山口)
深谷前谷地旧記によると祭祀は二代藩主忠宗公の時代、当村御百姓七右衛門芝刈に龍ノ口山に登り体み中、夢枕に衣冠正老翁が立ち、龍神宮として祀りなば、守神となり寿福を授け疫病を険き、安産を第一に守護する旨のお告げがあり、七右衡門夫妻神霊疑いなしと「赤飯・神酒」を供え祭事を催し祀る。とき正保2年(1645)9月29日なりと、その後元禄年中(1688−1704)より8月29日秋一度の祭りを行うも、霊験あらたかにしで近郷より崇拝者参詣多く享保9年(1724)3月29日より春秋二度の祭典となる。又明和7年(1770)6月吉日早朝、龍石寺住僧宥厳和尚村人と龍ノ口神社に籠り雨乞いしところ三日目にして大雨となり田畑を潤し、五殺成就する。
肝入日野弥市右衛門、安永元年(1772)御上に事の次第を申達、社有地の除地願出認められる。
社地の廻り拾間切方、御坂の通、幅四間
○大鳥居建立 明和六年(1769)2月
○御坂石壇建立 天命2年(1782)
〇一の鳥居建立 寛政4年(1792)春
又境内参道に龍神詞。石灯籠。狗犬等信仰の厚さを偲ばせる。祭典日には龍子女による、花御膳(春)・流鏑馬(秋)の神事寛政年同より継承され現在に至る。
祭神 豊玉彦命外四柱
例祭日(現在) 4月29日。9月29日
昭和63年7月22日
河南町教育委員会

社頭掲示板




龍口神社

前谷地字龍ノ口山
 深谷前谷地旧記によると、江戸時代の初め頃、この村の百姓、七右衛門が柴刈りに龍ノ口山に登り休んでいたところ、夢枕に気品の高い老人が立ち、龍神宮として祀れば、守神となり幸福を授け、疫病を除き、安産を第一に守護するとのお告げを受け、七右衛門夫妻は「赤飯、神酒」を供えて、祭事を取り行ない祀ったのがはじまりと言い伝えられている。
以来、五穀豊穣の神、安産の神として、氏子をはじめ近郊の崇敬者の信仰が厚く、明治5年3月には、旧村社に列した。
 境内には、龍神の詞、石灯籠、手洗鉢、石鳥居、狛犬などがあり、歴史を偲ばせる。
 祭典には稚児により、春は花御膳行、秋は流鏑馬の神事が継承され、現在に至っている。
祭 神 豊玉彦命外五柱
例祭日 4月29日 9月29日

社頭掲示板



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