金鑽神社
かなさなじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】金鑽神社 名神大 武蔵国 児玉郡鎮座
          (旧地)金鑽神社(旧地)

   【現社名】金鑽神社
   【住所】 埼玉県児玉郡神川町二ノ宮750
       北緯36度10分48秒,東経139度4分22秒
   【祭神】天照大神 素盞嗚尊 (配祀)日本武尊
   【例祭】4月15日 例祭
   【社格】名神大 旧官幣中社 二宮
   【由緒】貞観4年6月神階正六位
       同年8月從五位下
       延暦20年坂上田村麿祈願
       永承6年源義家祈願
       徳川時代朱印三十石
       明治6年3月県社兼郷社
       明治18年4月官幣中社

   【関係氏族】
   【鎮座地】旧鎮座地は摂社元森神社の境内地という

   【祭祀対象】御室山
   【祭祀】
   【公式HP】 金鑽神社
   【社殿】本殿がない
       拝殿・祝詞舎・中門・神樂殿・社務所・祭器庫・参集所

   【境内社】元森神社・蚕影山神社・有氏神社・八坂神社
   【境内図】 境内図

金鑚神社は本殿をもたず、背後の御室山をご神体とする。日本武尊東征の折りに、天照大神と素盞鳴命を祀ったという。
境内には、天文3年(1534)銘の朱塗りの多宝塔(国重要文化財)や、拝殿、源頼義・義家父子が奥州出陣の折りに戦勝祈願したという駒繋石・旗掛杉・義家橋などがある。
金鑚神社は、『魏志倭人伝』に記述される2・3世紀頃の倭人のクニの1つ「華奴蘇奴(かぬそぬ)国」の中心地とする説がある。


由緒

武蔵二宮金鑽神社 神川町大字二宮鎮座 神社境内は八町うち一町半が神体林で木柵がまわっている。拝殿切妻流造、祝詞舎中門があり、義家橋、駒つなぎ石、義家旗掛銀杏がある。景行天皇41年日本武尊東征の折、御姨倭比姫命より賜った火鑽金火打石を御室山に収めて天照大神素盞嗚命二柱を奉斎し、尊は欽明天皇の御時配祀された。貞観四年官社に列せられ、延喜式内名神大社に列した。九郷用水守護児玉党五十六族の鎮守であり、徳川時代朱印三十石、明治十八年四月官幣中社に列格した。勅使参向六回、社宝には義家奉納の琵琶二面がある。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




金鑚神社

所在地 児玉郡神川村二の宮
 金鑚神社は、旧官幣中社で、延喜式神名帳にも名を残す古社である。むかしは武蔵国二の宮とも称された。地名の二の宮はこれによっている。
 社伝によれば、日本武尊が東征の帰途、伊勢神宮で伯母の倭姫命より賜った火打石を御霊代として、この地の御室山(御岳山)に奉納し、天照大神と素盞嗚命を祀ったのが始まりとされている。
 鎌倉時代には、武蔵七党の一つ、児玉党の尊信が厚く、近郷二十二カ村の総鎮守として祀られていた。江戸時代には徳川幕府から御朱印三〇石を賜り、別当の一乗院とともに栄えた。
 境内には、国指定重要文化財の多宝塔や、平安時代の後期、源義家が奥州出兵のため戦勝祈願を当社にしたときのものという伝説の遺跡”駒つなぎ石””旗掛杉””義家橋”などがある。
 なお、この神社にはとくに本殿をおかず、背後の山全体を御神体としている。旧官・国幣社の中で本殿がないのはここのほか、全国でも大神神社(奈良県)と諏訪神社(長野県)だけである。

社頭掲示板



御嶽の鏡岩

昭和31年7月19日 国指定特別天然記念物
 御嶽の鏡岩は、約一億年前に関東平野と関東山地の境にある八王子構造線ができた時の岩断層活動のすべり面である。岩面の大きさは、高さ約4m、幅約9mと大きく、北向きで約30度の傾斜をなしている。岩質は赤鉄石英片岩で、赤褐色に光る岩面は、強い摩擦力により磨かれて光沢を帯び、表面には岩がずれた方向に生じるさく痕がみられる。岩面の大きさや、断層の方向がわかることから地質学的に貴重な露頭となっている。
 鏡岩は古くから人々に知られていたようであり、江戸時代に記された『遊歴雑記』には、鏡岩に向えば「人影顔面の皺まで明細にうつりて、恰も姿見の明鏡にむかふがごとし」とあり、『甲子夜話』にも同様の記述がある。また、鏡岩がある御嶽山の一帯は、中世の山城である御嶽城跡が所在することでも知られているが、鏡岩が敵の目標となることから、城の防備のため松明でいぶしたので赤褐色になったという伝説や、高崎城(群馬県)が落城した時には火災の炎が映ったとも伝えられている。このように鏡のように物の姿を映すということから、鏡岩といわれるようになった。

社頭掲示板



金鑚神社多宝塔

所在地 児玉郡神川村二の宮
 金鑚神社の境内にあるこの多宝塔は、三間四面のこけら葺き、宝塔(円筒形の塔身)に腰屋根がつけられた二重の塔婆である。
 天文3年(1534)に阿保郷丹荘の豪族である阿保弾正全隆が寄進したもので、真柱に「天文3甲午8月晦日、大檀那安保弾正全隆」の墨書銘がある。
 この塔は、建立時代の明確な本県有数の古建築であるとともに、阿保氏に係わる遺構であることも注目される。塔婆建築の少ない埼玉県としては貴重な建造物であり、国指定の重要文化財となっている。

社頭掲示板



金鑚神社

此地を御室嶽と称し約五千坪を神体山とす。(○中略)貞観4年6月神階正六位を賜い官社に列し同年8月從五位下を賜い(三代實録)、延喜の制に名神大社に列す。延暦20年坂上田村麿祈願して夷賊討平の功を奏し、永承6年源義家祈願して奥賊討平の功を奏し大虎小虎の琵琶二面を奉納す。徳川時代朱印三十石を賜い、八幡山外二十二ケ村の総鎭守として几郷用水水利守護の神威を垂る。明治6年3月縣社兼郷社となり、明治18年4月官幣中社に列格し、昭和21年社格を失い、昭和24年10月10日境内地16,450坪を國家より無償譲與を受けたり。明治35年祝詞舎中門拝殿を改築し、明治38年12月勅使参向あり。大正4年11月大嘗祭につき勅使参向あり。大正15年特別建造物多宝塔を文部省より一萬円の交付を受け大修理を加へ、昭和3年11月大嘗祭につき勅使参向あり。昭和9年4月神饌所改築、神橋改築、列格五十年祭を行い、同年10月勅使の参向あり。同15年紀元2600年記念祭を行い、同16年11月勅使参向あり。同26年4月祝詞舎中門拝殿屋根柿葺換工事を竣工す。昭和22年六町三十八ケ村に渉り神社奉賛会を設定したり。

同神社明細帳



御嶽の鏡岩

御嶽の鏡岩
所在地 児玉郡神川村大字二の宮
鏡岩は、ここから約400m登った御嶽山の中腹にあり、約30度の傾斜をもった岩面が、幅5m、高さ9mにわたつて赤褐色に光り、わずかの日射しでもにぶく輝いている。地質学的には“紅鉄変岩スレ肌"という約9000万年前の岩断層活動の跡とされ、断層面ができるとき強い摩擦力で岩面が鏡のように磨き上げられたものとみられ、摩擦方向に斜めに幾本もの筋が走っているのがわかる。貴重な地質学資料として、昭和31年に国の特別天然記念物に指定されている。
また、伝説によると高崎城(群馬県)が落城したとき火災の炎が明るく映ったと伝えられ、また月の光に反射し敵の目標となることから、松明でいぶしたので赤褐色になったとも伝えられている。
この山は標山550mあり、尾根続きには御嶽城跡のある城山もあって、周囲の眺望にすぐれ、神流川、利根川沿いの北関東を一望できる。
昭和58年3月
神川町

社頭掲示板



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