秩父神社
ちちぶじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】秩父神社 武蔵国 秩父郡鎮座

   【現社名】秩父神社
   【住所】埼玉県秩父市番場町1-1
       北緯35度59分52秒,東経139度5分3秒
   【祭神】八意思兼命 知知夫彦 (配祀)天之御中主神 秩父宮雍仁親王
       『神社覈録』『武藏式内四十四座命附』『巡禮旧神祠記』『新記』大己貴命
       延経『神名帳考証』『神祇志料』『神祇志』『神祇宝典』知知夫彦命

   【例祭】12月3日 例大祭
   【社格】旧国幣小社 武蔵国四宮
   【由緒】崇神天皇の御代創祀
       貞観4年(862)7月21日正五位上(三代実録)
       貞観13年(871)11月10日従四位下
       元慶2年(878)12月8日正四位下
       正和2年(1213)造営
       応永4年(1397)本殿造営
       元亀元年(1570)武田兵の放火で社殿焼失
       天正元年(1573)仮造営再興
       天正19年(1591)朱印領五十七石
       天正20年(1592)徳川家康造営
       明治6年県社
       昭和3年11月10日国幣小社

   【関係氏族】秩父国造
   【鎮座地】鎮座地の移転はない

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】江戸時代は「秩父大明神・大宮明神・妙見宮」と称していた
   【公式HP】 秩父神社
   【社殿】本殿権現造
       幣殿・拝殿・社務所・神門・神樂殿・神饌所・手水舎・神庫・参集殿・参集所

   【境内社】日御碕宮・柞稲荷神社・諏訪神社・天満天神社
   【境内図】 境内図

秩父市の中央、柞(ははそ)の森に鎮座する。秩父地方の総社で12月3日の秩父夜祭もここの例大祭である。
社殿と参道の南側延長線上に武甲山(時代によって武光山、秩父嶽、妙見山などとよばれる)があり、元々は武甲山を神奈備として遥拝する聖地であったと考えられている。
 第十代崇神天皇の御代に創祀され、秩父国造秩父開拓の祖神知知夫彦命がその祖神八意思兼命を奉祭したとされる。
 現在の社殿は天正20年(1592)徳川家康が社領五十七石を寄進して代官成瀬吉左衛門に建造させたもので権現造りの本殿、幣殿、拝殿が並び、豪壮な美しさは県下でも代表的なものである。
 社宝の神輿は県下最古で室町末期の作と言われ、鳳輦輿に由来した古式で、胴が太く丈長く菊花輦に似ている。
 社殿には沢山の彫刻があるが有名なのは左甚五郎作といわれる「つなぎの龍」。この龍は実際に鎖でつながれているのだが伝説があり、夜な夜な龍が近くの沼へ水を飲みに行き、嵐を起こし作物を台無しにするので、龍が飛べないように鎖で縛りつけたという。


秩父神社参拝のしおり

例祭神
八意思金命
 知和夫彦命
 払天之御中主神
 秩父宮擁仁親皇
一、御創立人皇10代崇神天皇11年(凡2070余年前)
一、御社殿 天正20年(凡400年前)本殿、幣殿、拝殿、連繁三棟合殿権現造、昭和41年台風により損傷、解体復元し同45年秋竣成、併せて彫刻類も極彩色で復元、中でも名工左甚五郎の作「つなぎの龍」「子育ての虎」は有名です
一、例祭典
◇例大祭……12月3日(国指定無形文化財)
神輿の御神幸は夕刻より始まり儀式荘厳善美を尽す。屋台笠鉾の華麗遠近参拝者の雑踏、仕掛煙火の盛観実に関東随一の称があります。また京都祇園祭、飛騨高山祭とともに日本三大山車祭の一つと呼ばれています。
◇夏祭……7月20日
神輿洗いの水清き渚に御神幸、屋台笠鉾は子供等によって曳かれ終日終夜殷賑を極む
◇祈年祭(御田植祭)4月4日新嘗祭(新穀感謝祭)12月6日篤農家奉仕の古式による増産、報恩感謝の行事
◇節分祭……2月節分の日都市内外遠近の祈願申込者万余殷盛県下一、古式による「鬼やらい行事」と共に郷土が誇る国文化財秩父神代神楽の奉奏
◎文化財指定
秩父祭りと屋台行事(笠鉾、屋台、屋台囃子、曳踊)秩父神楽(国指定)御社殿、造営古文書、古神輿、棟札、田植祭神事、境内全域仏法僧棲息地、史跡発祥の地(県指定)御旅所(市指定)
悠遠且典雅な神秘に包まれる聖域秩父神社は躍進途上の秩父市の中央に鎮座し秩父三社巡りの三峰、宝登山両神社の中間にあって、古くから秩父総社延喜式内社、関東の古社として知られております。御創立は遠く二千有余年前、崇神天皇の御代秩父国造の始祖知和夫彦命が命の御祖神八意思金命を奉斎しました時と記録されております。その後東国の山城にも武家の勃興と共に漸く文化も開け、平安中期以降神仏習合の妙見信仰が加わりました。上下の尊崇、別けても朝廷の御崇敬は極めて驚く神階正四位下に進み武家の崇敬も深く現在の御社殿は戦国末期に兵火に炎上しましたのを徳川家康公が造営を進めたものです。当時の棟札が社宝とし保存されであります。昭和3年11月例即位の当日県社から国弊社に列格いたしました。畏くも、大正天皇は第二皇子雍仁親王殿下の宮家御創立に当り秩父宮家の称号を御宣賜あらせられ、その年殿下は親しく御奉告のため御参拝なされて乳の木壱樹を御手植えなされましたが、今は亭々として生い茂って参りましたところ、先年、宮様の薨去遊ばされるや御遺徳を偲びまつる都市民は御由縁も深いこの聖域に御尊霊を御幸斎申し上げました。先年は貞明皇后、高松宮殿下の御参拝を辱うしております。なお、秩父宮妃殿下の御参拝を載き、秩父神社復興奉賛事業完遂奉祝祭(昭和17年10月5日)を斎行しましたが、左のお歌を賜わりました。
神垣も新になりて みゆかりの 秩父のさとわ いよよ栄えむ

由緒書



秩父神社

当社は市の中央柞の森に鎮座し、秩父地方の総社であり、延喜式神名帳にも載っている。2000有余年の歴史を持つ関東屈指の古社であります。
人皇10代崇神天皇の御代、知知夫彦命がその祖神八意思兼命を奉祀したのに始まるといわれております。
1.御社殿 県指定有形文化財
現在の社殿は天正二〇年徳川家康の寄進により建立されたもので、見事な権現造りです。特に「つなぎの龍」と「子育ての虎」は名工左甚五郎の作と言われています。
1.御祭神
八意思兼命
知知夫彦命
天之御中主命
秩父宮擁仁親王

社頭掲示板



秩父神社

当社は、市の中央柞の森に鎮座し、秩父地方の総社であり、延喜式神名帳にものっている、二千有余年の歴史をもつ関東屈指の古社であります。
人皇十代、崇神天皇の御代、知知夫彦命が、その祖神八意思兼命を奉祀したのに始まるといわれております。
一、 御祭神
八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)
  政治、学問、工業、開運の祖神。
知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)
  郷土開拓の神。
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
  宇宙創造神、俗に北斗七星の神として妙見様といわれる。
秩父宮雍仁親王(ちちぶのみややすひとしんのう)
一、 御祭礼
2月 節分祭(古式による鬼やらい行事が行われる)
4月4日 御田植祭
7月20日 夏祭り(川瀬祭り)
悪疫払いの行事、神輿を荒川にもみ込み、屋台笠鉾を曳きまわされる。
12月3日 秩父夜祭り(冬季例大祭)
日本三大曳山祭の一つで、国指定重要民俗資料秩父祭屋台、笠鉾六基が、県指定無形文化財の秩父屋台ばやしのリズムに乗って街中を夜を徹して曳かれる。

社頭掲示板



秩父神社

御祭神
  八意思兼命 (政治 学問 工業 開運の祖神)
  知知夫彦命 (秩父地方開拓の祖神)
  天之御中主神 (北辰妙見と同神格)
  秩父宮雍仁親王 (先帝昭和天皇の弟宮)
御由緒
 当社のご創建は平安初期の典籍「先代旧事紀−国造本紀−」によれば、人皇第十代の崇神天皇の時代に、八意思兼命を祖とする知知夫彦命が、知知夫国の初代国造に任命され大神を祀ったことに始まるとされており、武蔵国成立以前より栄えた知知夫国の総鎮守として現在に至っています。
 元慶2年(878年)には神階正四位下に昇叙され、延長五年(九二七年)に編纂された「延喜式」にも掲載されるなど、関東でも屈指の古社のひとつに数えられています。また、中世以降は関東武士団の源流、秩父平氏が奉じる妙見信仰と習合し長く「秩父妙見宮」として隆盛を極めましたが、明治の神仏分離令により秩父神社の旧社名に復しました。
 現在の権現造りのご社殿は、天正20年(1592年)に徳川家康公が寄進されたもので、江戸時代初期の建築様式をよく留めていることから、埼玉県の有形文化財に指定されています。また、毎年12月3日に行われる例大祭は「秩父夜祭り」として国の重要無形民俗文化財に指定され、京都の祇園祭り、飛騨高山祭りと共に日本三大曳山祭りに数えられ全国に知られています。
 古くこのお祭りは妙見祭とも呼ばれ、妙見様の星祭りとして親しまれてきました。妙見様のご利益は、国土守護、除災招福、貧窮を救い、一切の諸願を満たしてくれる天女のような神様であり、庶民の様々な願いを叶えてくれるご神徳があるとされています。

社頭掲示板



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