氷川神社
ひかわじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】氷川神社(名神大 月次/新嘗) 武蔵国 足立郡鎮座

   【現社名】氷川神社
   【住所】埼玉県さいたま市大宮区高鼻町4−1
       北緯35度55分0秒,東経139度37分47秒
   【祭神】須佐之男命 稻田姫命 大己貴命 (配祀)倉稻魂命
   【例祭】8月1日 例大祭
   【社格】旧官幣大社 武蔵国一宮 宮中の四方拝で遥拝される一社
   【由緒】孝昭天皇3年4月創祀
       日本武尊御東征の時御祈願
       天平神護2年(766)7月神封三戸
       聖武天皇の御代、武藏國一の宮
       貞観元(859)年正月27日従五位上
       同5年6月8日正五位下
       同7年12月21日従四位下
       同11年11月19日正四位下
       元慶2年(878)12月2日正四位上
       永保元(1081)年・永治元年(1141)年・院治承4年(1180)それぞれ神位一階
       治承4年(1180)源頼朝社殿再建
       文禄5年(1596)8月徳川氏造営
       寛文7年(1667)3月造営
       明治4年官幣大社

   【関係氏族】武蔵国造
   【鎮座地】此の地に当初より鎮座鋳

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「氷川大社」と称していた
   【公式HP】 氷川神社
   【社殿】本殿銅板葺流造
       拝殿・社務所

   【境内社】門客人神社・天津神社・宗像神社
        山祇神社・石上神社・愛宕神社・雷神社・住吉神社
        神明神社・天満神社・松尾神社・御嶽神社・稲荷神社

   【境内図】 境内図

社伝によれば孝昭天皇3年に創建された。成務天皇の時代に出雲の兄多毛比命(えたもひのみこと)が武蔵国造となり、当社を崇敬した。
この一帯は出雲族が開拓した地であり、武蔵国造は出雲国造と同族とされる。社名の「氷川」も出雲の「簸川」に由来するという説がある。延喜式神名帳では名神大社に列している。
高鼻台地の上に鎮座。古代この辺りは見沼原と呼ばれ、湖沼が複雑に入り組んでいたと考えられている。その名残りが、社殿背後に広がる池(現大宮公園)であり、神社境内の神池である。古代の武藏国造家は沼池に面した高台に神を祀り、居所を構えた。これが氷川神社であり、又国造の居所であつたと考えられる足立神社(水判土(みつはた))である。
江戸時代には三の鳥居を入つた玉垣内に、正面に簸王子社(祭神大己貴命)、後方、御手洗池の奥に左に男体社(祭神素戔嗚神)、右に女体社(祭神稲田姫命)が鎭座し、男体・女体社の間に、大祭の時に神輿を安置する仮殿があつた。
明治以降はひとつにまとめられた。
宮司である東角井氏は代々往古より祭祀を司っており、平成10年現在で96代を数えている。


氷川神

由緒 氷川神社は今から凡そ二千有余年前、第五代孝昭天皇の御代3年4月未の日の御創立と伝えられます。
当神社は、歴朝の御崇敬・武将の尊敬も篤く、景行天皇の御代日本武尊は東夷鎮圧の祈願をなされ、成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命が朝命により武蔵国造となって氷川神社を専ら奉崇し、善政を布かれてから益々神威輝き、格式高く聖武天皇の御代武蔵一宮と定められ、醍醐天皇の御代に制定された延喜式神名帳には名神大社として、月次新嘗案上の官幣に預り又臨時祭にも奉幣に預っています。武家時代になってからは鎌倉、足利、徳川の各将軍家等相継いで尊仰し、奉行に命じて社殿を造営し社領を寄進する等、祭祀も厳重に行われていました。
 明治の御代に至っては明治元年、都を東京に遷され当社を武蔵国の鎮守・勅祭の社と御定めになり天皇御親ら祭儀を執り行われました。次いで明治4年には官幣大社に列せられました。
 昭和9年昭和天皇御親拝、昭和38年今上陛下が皇太子時に御参拝になられ、昭和42年10月、明治天皇御親祭百年大祭が執り行われ社殿、その他の諸建物の修復工事が完成し、10月23日昭和天皇・皇后両陛下御揃いで親しく御参拝になられました。昭和62年7月には天皇・皇后両陛下(当時皇太子・同妃殿下)が御参拝になられました。

社頭掲示板



氷川神社

所在地 大宮市高鼻4−1−1
 氷川神社は、社記によると第5代孝昭天皇の3年4月未の日の創立と伝えられる。
 当神社は、古くから歴朝や武将の尊崇をあつめた由緒ある大社としてその歴史を誇っており、「大宮」の地名もこの氷川神社に由来することは衆知のとおりである。
 古くは景行天皇のとき、日本武尊が東征のおり当地に足をとめて祈願され、また成務天皇のとき、武蔵国造となった兄多毛比命が出雲族を引きつれてこの地に移住し、氷川神社を奉崇したと伝えられる。その後、聖武天皇(724〜49年)のとき「武蔵国一の宮」と定められ、ついで称徳天皇の天平神護2年(766)には、朝廷から武蔵国では当社だけに封戸(三戸)が寄進された。さらに醍醐天皇の延長5年(927)の「延喜式神明帳」には、名神大社として破格の月次新嘗の社格が与えられている。
 このほか、鎌倉時代には、治承4年(1180)に源頼朝によって社殿の再建と社領三千貫が寄進されたといわれ、足利、北条氏も相次いで尊仰した。その後、江戸時代の慶長9年(1604)には、徳川氏より社領三百石が寄進され、また、文禄5年(1596)と寛文7年(1667)には社頭の整備と社殿の造営が行われている。
 その後、明治元年(1868)東京遷都に際し、当社を武蔵国の総鎮守「勅祭の社」と定められ、明治天皇みずから親拝になった。同4年官幣大社となり、同15年に本殿・拝殿などを改造し、さらに昭和15年に本殿・拝殿・回廊などを造り変え、現在の景観となっている。
 祭神は須佐之男命・稲田姫命・大己貴命。
 例大祭は8月1日。そのほか神事の中で特に有名なのが12月10日の大湯祭である。

社頭掲示板



氷川神社

武蔵一宮氷川神社
須佐之男命 稲田姫命 大己貴命
例祭日 8月1日
御由緒
今から2400有余年の昔、第五代孝昭天皇の御代3年4月の御創立で、聖武天皇の御代各国に一の宮の制を定められた時、武蔵一の宮と称えられ、醍醐天皇の朝に定められた延喜式には名神大社として月次新嘗案上官幣に預り、又臨時祭にも奉幣に預ったことが記されています。明治の御代に至っては元年(1868)10月28日明治天皇当神社に行幸、御親祭なされ、当国の鎮守勅祭の社と定められ、次いで4年5月官幣大社に列せられました。年々の例大祭には勅使の御差遣、東游の御奉納などがあり、荘重厳粛な祭儀が行われます。
又、氷川神社名の社は大宮を中心に、埼玉県下及び東京都下、神奈川県下に及びその数は二百八十数社をかぞえます。武蔵国造の子孫がこの大宮の地を本拠として民族的政治的に著しい発展をしたことを物語っているものと考えられます。
社殿の沿革
上代のことは詳かにすることが出来ませんが、治承4年(1180)源頼朝公が土肥次郎実平に命じて社殿を再建、文禄5年(1595)8月には徳川氏、伊奈備前守忠次を奉行として、社頭を残らず造営せしめ、次いで寛文7年(1667)3月には阿部豊後守を奉行として社殿の建立をしております。以来幾度の御造営あって今の御社殿は昭和15年(1940)6月の竣成で、流造りであります。
社頭風致
神社は元神領の大宮公園を控え、広大な聖地として、境内の広さ約三万坪、古杉老松は古えをしのばせ参道の長さは中山道の一の鳥居から約2Km、国道十六号ぞいの二の鳥居は高さ13mで、木造では関東一の高さをほこります。境内には楼門あり、舞殿あり、神橋あり、池水満々、四時の眺め輪奐の美を極め、霊気おのずと襟を正さしめます。
境内神社
摂社 門客人神社 足摩乳命 手摩乳命
摂社 天津神社 少彦名命
摂社 宗像神社 多起理比売命 市寸島比売命 田寸津比売命
末社 山祇神社 大山祇命
末社 石上神社 布都御魂命
末社 愛宕神社 迦具土命
末社 雷神社 大雷命
末社 住吉神社 底筒男命 中筒男命 上筒男命
末社 神明神社 天照大御神
末社 天満神社 菅原道真公
末社 松尾神社 大山咋命
末社 御嶽神社 大己貴命 少彦名命
末社 稲荷神社 倉稲魂命

由緒書



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