足立神社
あだちじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】足立神社 武蔵国 足立郡鎮座
          (旧地)足立神社【旧地 植田谷本】
          (旧地)足立神社【旧地 慈眼寺】

   【現社名】足立神社
   【住所】埼玉県さいたま市西区飯田 54
       北緯35度53分50秒,東経139度35分22秒
   【祭神】猿田彦命 (合祀)素盞嗚命 面足命 惶根命 大物主命
   【例祭】4月25日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】由緒不詳
       明治6年村社

   【関係氏族】武蔵国造
   【鎮座地】現在の足立神社の場所は、もと飯田の氷川神社
        明治39年水判土の足立神社、植田谷本の足立神社などを合祀

   【祭祀対象】武蔵国造の祖先
   【祭祀】 江戸時代は「八幡」と称していた
   【社殿】本殿流造 
       拝殿・社務所

   【境内社】

大宮光陵高校北に鎮座する。
足立は「芦の多い」の意味であろう。
この地は古代は一大湖沼地帯であり、今でも関沼・見沼などの地名が残っている。
現在の足立神社の場所は、もと飯田の氷川神社だった。明治39年の神社合祀令により、飯田の氷川神社、水判土の足立神社、植田谷本の足立神社など付近の14の神社を合祀して足立神社と改称。
水判土の足立神社、植田谷本の足立神社が式社の論社とされている。
植田谷本村に鎮座していた足立神社は豪族足立氏の本拠地と推定される場所であり、同氏の祖が足立神社を氏神として祭祀したと思われる。
「新編武蔵風土記稿」では足立氏の子孫と伝える植田谷本村の名主であった小島勘太夫の屋敷内で祀っていた足立神社が式内社であるとされている。
水判土村(ミズハタ村)に鎮座していた足立神社は合祀される前は慈眼寺境内に鎮座していた。
慈眼寺は元来足立神社の別当寺であつたが、その社地を次第に浸食し、ついには併呑してしまつたと思われる。


足立神社

足立神社は、平安時代にその名が見える古い神社です。植水地区を中心とした殖田郷に本拠をおいた平安時代の豪族足立氏が奉斎する氏神でしたが、崇敬者も増え朝廷の「廷喜式神名帳」に登載されるほどになりました、この神名帳にみえる足立神社だする社が、浦和市・鴻巣市・市内宮原町にもありますが、「新編武蔵風土紀稿」では足立氏の子孫と伝える植田谷本村の名主小島勘太夫家屋敷内にあった足立神社をそれと記しています。
この足立神社は明治40年に樋水地内の12社を合祀して、氷川神社の社号を足立神社と改称したものです。
この歴史数歩コースは鴨川を中心とする樋水〜三橋を訪ねるもので、東へ向かうと慈眼寺・水波田観音、南東は袋の観音寺・林光寺などへ続いています。
さいたま市教育委員会生涯学習部文化財保護課

社頭掲示板



足立神社

所在他 埼玉県さいたま市西区飯田字観音前54番地
(元)埼玉県北足立郡植水村大字飯田字観音前54番地
敷地面積 4,076.15u 1,235.2坪
年間行事 元旦祭1月1日 春祭2月26日 例大祭4月25日
     八雲祭7月14日 大祓祭7月25日 秋祭11月26日
     大祓祭12月25日
「延喜式」神名帳には武蔵野国足立部内の神社として水川神社・足立神社・調神社・多気比売神社の四社の名が記されている。これらの諸社のうち足立神社は、古代に於ける殖田郷に鎮座しこの殖田郷を本拠地とした豪族足立氏が奉齊した神社であったので、長い年月には衰微した時期があり、江戸時代には足立神社と称する社が幾つか出現する状況になったが、殖田郷に鎮座する足立神社は「風土記稿」「神名帳」等にも名主勘太夫の屋敷内にあり(中略)式内社として有力なる候補とされて来た社であるが、水判土村にも足立神社が慈眼寺裏手の指扇支台と山王塚の二箇所に村の鎮守として祀られていたと言う伝説もある。また飯田村下組は氷川神社・上組は氷川・八幡合社を鎮守どして祀っていたが明治6年下組の氷川神社が植水村社となり明治39年には政府の合祀政策により当時の村内にあった村社および無格社30社を当地の氷川神社に合祀し、その中には、植田谷本・水判土の足立神社も含まれており、この0合祀を機に氷川神社の社号を「足立神社」と改め、大正3年4月には神域を拡大整備し本拝殿を改築且つ社務所を新築し名実共に5地区の鎮守として新発足した。
明治40年5月14日付で足立神社に合祀された主な神社としては..飯田地区では氷川村社・氷川八幡合社。水判土地区では足立神社・厳島社・御嶽社・中野林地区では12所神社・天神社・神明社・須賀社・植田谷本地区では、足立神社・天満宮・天神稲荷社。
三條町地区では12所神社・稲荷社・社の根神社・以上15社のほか、全地域の無格社15社が含まれている。
祭神としては次の神々である。天神七代命として
豊雲野神・宇比地邇神・角杙神妹活杙神・意富斗能・地神妹大斗乃弁神・游母陀琉神・妹阿夜謌志古泥神・伊邪那岐神妹・尹邪那美神
地神五代神として
天之御中主神・高御産巣日神・神御産巣日神・宇麻志阿斬謌備比古遅神・天之常立神・天照坐大神・須佐之男命。
日本武尊・市杵島姫命・多岐都比売命・猿田彦命・大国主神・天手力男神・菊理姫命・倉稲御魂神・応神天皇・菅原道真の24の神々である。
以上古代よりの資料や記録によるものであるが、寛政5年(1793)「武蔵の国足立郡谷本の足立神社本跡縁起」の由緒に依ると、当社は「日本武尊」を崇敬し神祀を建て祀ったものであるとあり、又この中の「明細帳・郡村誌」によると当社の祭神は「猿田彦命」と明記されている。

社頭掲示板



足立神社

歴史散歩コース −植水−
足立神社
ここは飯田です
足立神社は、平安時代にその名が見える古い神社です。植水地区を中心とした殖田郷に本拠をおいた平安時代の豪族足立氏が奉斎する氏神でしたが、崇敬者も増え朝廷の「延喜式神名帳」に登載されるほどになりました。この神名帳にみえる足立神社だとする社が、浦和市・鴻巣市・市内宮原町にもありますが、「新編武蔵風土記稿」では足立氏の子孫と伝える植田谷本村の名主小島勘太夫家屋敷内にあった足立神社をそれと記しています。
この足立神社は明治40年に植水地内の12社を合祀して、氷川神社の社号を足立神社と改称したものです。
この歴史散歩コースは鴨川を中心とする植水〜三橋を訪ねるもので、東へ向かうと慈眼寺・水波田観音、南東は袋の観音寺・林光寺などへ続いています。
さいたま市教育委員会
生涯学習部文化財保護課

社頭掲示板



足立神社

足立は郡名に同じ○祭神猿田彦大神、(風土記)○殖田本村に在す、(地名記)○惚國風土記七十七残欠云、武藏國足立郡足立神社、神田六十束四囲田、大日本根子彦太日天皇御字2年戊子、所祭猿田彦命也、有紳戸巫家等、
式社考に、三室郷宮本村宮本大明神と云り、

神社覈録



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