本来の鎭座地は現鎭座地の東方約1kmにある三井山(高山110m)の南斜面中腹である。 美濃国守護の土岐氏が尾張に対抗して山頂に城廓を築いた時、御旅所であつた現在地に遷座した。 三井城は1548年(天文17年)、土岐氏と守護代斎藤氏との内紛の最中、尾張国の織田信秀に攻められ落城し、そのまま廃城となる。その後、御井神社から分祀し、三井山山頂に御井神社奥之宮が創建される。 三井山の下には山を囲むようにして「三井池」があった。「三井池」は祭神が掘られた池と伝えられ、延喜式に「津長井」の池と称される。 |
由緒 御井神社の神様は万物の生育に欠かせない水を司ります水神、水霊であり、神社の古殿地は今も、おいしい水が湧き出ています。 井戸の神様としても名高く、各務原市はここに水源地を求めて上水道を敷き、市の供給水量の80パ−セントも戴いております又境川の上流で、濃尾平野の流域の農耕生活の潤いとなり雨乞い、山神事や酒占神事で近郷近在にもよくしられています。 太古の昔この地は栄えて、三井山中腹には立派な御社殿もありました又戦国時代土岐弥一郎はこの山頂に築城し、本社を里宮の現在地へと遷りました。 いま城跡に昔を偲び、御井神社境内古墳と称されて磐座(いわくら)の祭祀遺跡もあり、文化財指定出土品も多く保存されています。 山頂奥宮からは濃尾平野を一望に望められ、麓には御井池があり御井大神の別宮、御井池龍神の社も建立して、一帯を御井池公園と称し市民の憩いに親しまれております。 龍神の霊験は、あらてかで遠く尾張、名古屋方面からも参拝に来られます 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
御井神社 由緒概略 御井神社は、大国主大神の第一御子御井大神を主祭神とする水霊水神の御社であり、安産と育児、生命の守護として、古来多くの人々から深く信仰せられている。 仲衷天皇9年三井山 元宮跡には、豪壮な社殿が聳え、神田三町歩余の奉進が天皇より4月に有り.和銅5年(713)日本最古の史書「古事記」上巻に御井大神の事績の記載有り。 三井に湧き出る水で御井神を産渇され木の俣にあずけ 延喜5年(903)式内郷社に列す。 天文元年(1532)土岐弥一郎、三井山築城の折、御社殿を当時御旅所であった現在地に遷宮。 元文3年(1738)桜町天皇より、神階正一位の神額神鏡を賜わる。 明治6年(1873)明治新政府大政官布告にて、郷社に列す。 戦後、神社庁より金幣社に昇絡。 平成8年10月吉日 御井神社 宮司 岩井勝彦 謹書 社頭石碑 |
三井山城 ■所在地:岐阜県各務原市三井山町 ■城郭様式:山城 ■別名:なし ■築城主:三井弥一郎? ■城主:三井氏 ■築城年代:室町時代 ■遺構:曲輪跡 ■歴史 最初の城主は土岐忠八郎であるとか、土岐氏の家臣で三井郷の領主でもあった三井弥市郎(三井弥一郎)が、室町時代に在地支配の根拠地として築城したなどといわれている。 築城にあたっては、それまで山頂にあった神社を山麓に遷座させたという。それが、三井町の御井神社と上中屋町の天神社(現在の天神神社)であるといわれている。 美濃国内で守護大名の土岐氏と守護代の斎藤氏の内乱が起きたときに、隣の尾張の国から織田信秀が天文17年(1548)に攻めこんで来た。この時に三井山城は落城、その後は廃城になったと考えられている。 http://www.geocities.jp/pappakun12/aruku/minokoku/miiyama/miiyamamemo.htm |
神水の泉 天文年間の頃、領主三井弥市郎が三井山築城にあたり、御井神社は現在地に遷宮されております。 この地には、渾渾として湧き出る神水の泉と、水の神を祀る元宮を起源とする五穀豊穣・集落の繁栄を祈願する「綱長井」の池(三井池)より流れる三井川の清流を備えており、此処に悠久不変の偉大なるご神徳を賜る崇高の鎮座地として先人により定められたと伝えられております。 以来、この泉は神水として470年におよび、水の神を奉仕する御井神社の深い崇敬の歴史的根源の象徴として大切に保存管理がなされております。 平成十五年十月吉日 御井神社 社頭掲示板 |
御井神社 御井神社の神様は万物の生育に欠かせない水を司ります水神、水霊であり、神社の古殿地は今も、おいしい水が湧き出ています。井戸の神様としても名高く、各務原市はここに水源地を求めて上水道を敷き、市の供給水量の80パーセントも戴いております又境川の上流で、濃尾平野の流域の農耕生活の潤いとなり雨乞い、山神事や酒占神事で近郷近在にもよくしられています。太古の昔この地は栄えて、三井山中腹には立派な御社殿もありました又戦国時代土岐弥一郎はこの山頂に築城し、本社を里宮の現在地へと遷りました。いま城跡に昔を偲び、御井神社境内古墳と称されて磐座(いわくら)の祭祀遺跡もあり、文化財指定出土品も多く保存されています。山頂奥宮からは濃尾平野を一望に望められ、麓には御井池があり御井大神の別宮、御井池龍神の社も建立して、一帯を御井池公園と称し市民の憩いに親しまれております。龍神の霊験は、あらてかで遠く尾張、名古屋方面からも参拝に来られます 岐阜県神社庁 |
御井神社 岐阜県各務原市三井町。旧郷社。木俣命・須佐男命・国底立尊・御井神を祀る。 創建年代は明かでないが、古くは町の東の三井山に鎮座、天文年間(1532〜54)に至り、御旅所であった現鎮座地に遷座した。 延喜の制小社に列せられ、『美濃国神名帳』に正四位下御井明神とあるのが当社であるという。例祭10月15日。特殊神事として4月25日、酒占神事が行われる。 神社辞典 |
御井神社 御井は假字也、和名鈔、郷名部)三井、○祭神詳ならず〇三井村に在す、今三井大明神と称す、(明細記) ○当國多芸郡にも御井神社あり 類社 大和國宇陀郡御井神社の下見合すべし 神位 本國神名帳、正四位下御井明神 神社覈録 |
郷社 御井神社 祭神 木俣神 創建年代詳ならずと雖も、延喜式の各務郡七座の一なり、神名帳考証に曰く。「御井神社、今云三井村、御井神、彦坐命御井津姫命云々、神社覈録には。祭神詳ならずとあり、美濃国式社考に云く、「御井神社、在各務郡三井村、去加納駅東二里許、今称御井大明神、古事記曰、八上比売者雖卒来畏其嫡妻須世理比売、而其所生之子者刺挟木股而返、故号其子云木股ノ神、亦名謂御井ノ神也」と、神紙志料新撰美濃志亦同じ、本國神名記に正四位下としるされあり、社傳によれば、本社は往古村の東なる三井の山嶺に鎮座せしが、天文の頃土岐弥一郎の該山上に築城するに際し、現在地に奉遷せしものなりと云ふ、元文3年9月29日藤原定敏神號(正一位御井大明神)額一面を寄附す、玉襷に曰く、「御井神は大國主神の御子にて、御母を稲羽八上比売と申せり、其社は神名帳に、出雲國大和国美濃国などに御井神社とてあまたあり」と、社記に云く、殿内には蒼古たる男女二柱の木像を鎮座する由云へば、或は一柱は祭神の御母にてもあらん歟、尚考ふべし、明治7年郷社に列せらる。 社殿は本殿、覆屋、渡殿、拝殿、祭文殿、社務所等を具備し、境内坪数670坪(民有地第二種)を有す。 明治神社誌料 |