村国神社
むらくにじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】村国神社 二座 美濃国 各務郡鎮座
          (御旅所)村国神社

   【現社名】村国神社
   【住所】岐阜県各務原市各務おがせ町3丁目46番地の1
       北緯35度25分13秒,東経136度54分20秒
   【祭神】村国男依命 天火明命 白山権現
   【例祭】10月第2日曜日 例大祭
   【社格】
   【由緒】古く村国氏が創祀
       承保3年(1076)白山大権現が合祀

   【関係氏族】村国氏
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】江戸時代は「村国白山大権現」と称していた
   【社殿】本殿権現造
       拝殿・社務所・神輿蔵

   【境内社】
   【別当寺】補陀寺

飛鳥時代、此の地一帯を治めていた村国氏の祖が、天之火明命と御子石凝老命を御祭神として創建した。
二座のうち一座は村中の山上(約20m)にあり(当社)、村国明神、白山大権現と称される。他は神社の東南200mの御旅所、御宝松と称されるところにある。
境内には村国座という農村歌舞伎舞台が残っている。


由緒

当神社は、飛鳥時代、此の地一帯を治めていた村國氏の祖が、天之火明命と御子石凝老命を御祭神として創建された社であります。
弘文元年、壬申の乱が興り豪族村國男依氏は、大海人皇子の命を受け、いち早く農兵3000人を引きつれ、不破の関を守り、大津街道を攻め上がり、大海人皇子の連に大勝をもたらし、天武の世となり、村國男依氏は此の勲功で、封120戸、功田10町とかばね性、連(むらじ)を賜り、帝の新任あつく時の政権の座につきましたが、天武4年天命を全し、此の世を去る。
帝より外小柴の位を授り、子息村國連嶋主によって、此の社に村國連男依の命として祀られ、以来、村國の社と呼び、産土神として代々村國一族が守って参りました。
時代は村國氏から、重臣各牟氏に移り延久4年約910年前、各牟宿弥良遠の時代に山獄信仰が盛んになり承保3年(900年)前、各務宿弥良近によって白山大権現が合祀され守護神として農州一円の士豪は、戦勝を祈り大いにあがめ祀り爾来、鎌倉、室町、安土桃山と戦国の時代を守り祀りて江戸時代を経て現在に至る古き由緒ある神社であります。
延長年代、延喜式内郷社となっていおり村國神社弐座と記載されております、別の壱座は御旅所と申して、村國連男依命の墳墓の地と云われ現在は椋の大木を御神木として斎奉る。
境内裏山に古き時代を忍ぶ古墳群あり、此れを村國古墳公園として広く一般に公開し、憩いの場に使用している。
昭和48年岐阜県神社庁より金幣社に昇格さる。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




村国神社

御祭神  天之火明命  石凝姥命 村国連男依命  白山大権現
当神社は、飛鳥時代この地一帯を治めていた村国の祖が天の火明命を御祭神として創建された社であります。
弘文元年の壬申の乱に、大海人皇子の命を受け、この地の豪族村国依男氏は大勝し、この勲功で、帝の信任厚く時の政権につきましたが、天武4年、天命を全うしこの世を去りました。
延久4年白山大権現が合祀され、濃州一円の士豪も、勝利の神と、大いにあがめ祀ったと伝えられている由緒ある神社であります。
山宮神社の石鳥居前(東新居字桧山田)にはかって三十六枚の御供田があった。
山宮の清流を引いて耕作された棚田であり「クタツタ」「ミズタ」と呼ばれるように田が鳥居のかみにあり、早くから開かれていたものである。明治40年水害の際に鳥居の付近にあった古い社家の屋敷跡はすべて押し流され、現在は落葉林、松林などに変化している。
山宮において明治以前は厳しい物忌みが年三回行われ、神主・社家・社人などが参籠し、この期間は氏子も忌みごもり。謹慎していたと伝えられている。
御供田からの収穫した米二俵をもって祭りの供物を作っていたと言われている。
浅間神社は、木花咲耶姫命を祀る甲斐の一宮で、垂仁天皇の時にこの地に勧請し、その後貞観七年(665)に現地に移されたと伝えられるもので。勧請地であるこの地には摂社として山宮神社が鎮座する。
この本殿は、一間社隅木入春日造檜皮葺きの室町時代の建築である。

社頭掲示板



村国神社

当神社は、飛鳥時代、此の地一帯を治めていた村國氏の祖が、天之火明命と御子石凝老命を御祭神として創建された社であります。弘文元年、壬申の乱が興り豪族村國男依氏は、大海人皇子の命を受け、いち早く農兵3000人を引きつれ、不破の関を守り、大津街道を攻め上がり、大海人皇子の連に大勝をもたらし、天武の世となり、村國男依氏は此の勲功で、封120戸、功田10町とかばね性、連(むらじ)を賜り、帝の新任あつく時の政権の座につきましたが、天武4年天命を全し、此の世を去る。帝より外小柴の位を授り、子息村國連嶋主によって、此の社に村國連男依の命として祀られ、以来、村國の社と呼び、産土神として代々村國一族が守って参りました。時代は村國氏から、重臣各牟氏に移り延久4年約910年前、各牟宿弥良遠の時代に山獄信仰が盛んになり承保3年(900)前、各務宿弥良近によって白山大権現が合祀され守護神として農州一円の士豪は、戦勝を祈り大いにあがめ祀り爾来、鎌倉、室町、安土桃山と戦国の時代を守り祀りて江戸時代を経て現在に至る古き由緒ある神社であります。延長年代、延喜式内郷社となっていおり村國神社弐座と記載されております、別の壱座は御旅所と申して、村國連男依命の墳墓の地と云われ現在は椋の大木を御神木として斎奉る。境内裏山に古き時代を忍ぶ古墳群あり、此れを村國古墳公園として広く一般に公開し、憩いの場に使用している。

岐阜県神社庁



村國神社

式内金幣社
村國神社(由緒)
御祭神
天之火明命 石凝姥命 村國連男依命 白山大権現
当神社は、飛鳥時代、この地一帯を治めていた村國の祖が天の火明命を御祭神として創建された社であります。
弘文元年壬申の乱に、大海人皇子の命を受け、この地の豪族村國男依氏は大勝し、この功勲で、帝の信任厚く時の政権につきましたか、天武4年、天命を全うしこの世を去りました。
延久4年(約920年前〕白山大権現が合祀され、濃州一円の士豪も、勝利の神と、大いにあがめ祀ったと伝えられている由緒ある神社であります。
昭和48年岐阜県神社庁より金幣に昇格した。

社頭掲示板



各務の舞台(村国座)

国指定重要有形民俗文化財
各務の舞台(村国座)
明治10年(1878)の創建と伝わる。そして、明治15年9月という太夫座の墨書により、この時がこけら落しだったと考えられる。本格的な劇場形式の建物は切妻造りの瓦葺きで約103坪を有す。舞台には直径約7.54mの廻り舞台のほか、花道・太夫座・ぶどう棚・奈落なども備えている。
かつては地元の青年による歌舞伎が上演されていたが、昭和40年代後半からは村国神社の祭礼に合わせて子供歌舞技奉納が行なわれている、
創建以来、たびたび修理の手が人って建物が維梼されて来たか、老巧化が顕著になった平成18年から3力年にわたる「平成の大修理」が行なわれた。これには文化庁からの補助金に加え市民のみなさんからの浄財が財源となり、解体修理とともに耐震補強もされた。これにより再び蘇った「村国座」を各務原市民の宝として大切に守りたい。
平成29年9月吉日
各務原市教育委員会 各務原市文化財を守る会

社頭掲示板/p>



村國神社 二座

村國は牟良久爾と訓べし、和名鈔、(郷名部)村國〇祭神村國連祖歟○在所詳ならずO日本紀、天武天皇元年6月辛酉朔壬午、詔村國連男依云々、汝等三人急住美濃國、
神位
本国神名帳、從五位下村國明神

神社覈録



郷社 村國神社

祭神 火明命
合祭 村國男依
創建年代詳ならずと雖も、醍醐天皇延喜の制式内小社に列し、各務郡七座の中二座とす、神名帳考証に、「村國神社二座、村国連祖神、天武紀云、村國連男依住美濃、続日本紀云、慶雲4年5月癸丑、美濃國言、村国連等志売一産三女こと見え、從五位下に叙せらる(本国神名帳}、神社覈録は「祭神村國連祖歟、在所詳ならず、」とせるも、神祇志料には、「村國神社二座、今各務郡各務村にあり、其一座は村東の山上にあり、村國白山と云ふ(式内神社考証)蓋村國連の祖神を祀る(参酌日本書紀、続日本紀、類聚國史)其一座は村中御旅所の地にあり、社今廃たり(式内神社考証)蓋村国連男依を祭る(慈眼寺草創記上人伝説)とあり、又特選神名帳に、「村国神社、各務郡、今按下に引る式社考証に云る如く、この祭神一座は村東の山上にありて村国白山と称し、一座は御宝松と云ふ処にありて、山上なるは村國連祖神、今一つの処なるは村國連男依を祭ると云るが如くなるべきを、猶委しく考ふるに、村国連男依は、天武天皇壬申の功臣(この人の伝は大日本史にも見えたり)にて、其子志我麻呂に田を賜ひ。又其孫なる村國速島主に從五位下を贈り、又村国子老に從五位下を授けたることなど続日本紀にみえて、世々美濃國に住りしこと著ければ、其氏人の祖神ど、壬申の功臣なる男依を合せて。村国神社と云りしもの、里老の口碑に存して光微あり、かかれば此二座の内一座は彼山上なる村国白山社にて村國連の祖神を祭り、是老松は村国連男依の墳墓なるを、其子孫の神として齋き祀りしものにて、此二社を合せて村國神社二座と決定すべしと云るが如くなるべきか、」とありて、本社が式の村国神なるは疑なかるへし、又新撰美濃志に「各務村は坂井の東にありて当郡の主郷なり、和名類聚鈔各務郡各務と見え、西宮記に内給書様人給美濃権史生各務村連秀長云々としるしたるはここなり、各務村連は義理わきまへかたし、誤字落字等あるべし、三代実録の貞観8年7月9日の條に、各務郡太領各務吉雄云々とあるもここの人なるべし、御料千五百五十七石一斗八升五合、白山社ぱ廷喜神名式に各務郡村国神社と見え、美濃国神名記に従五位下村国明神としるしたる官社なりといへり』と載せり、明治7年郷社に列せらる。
現今社殿は本殿。拝殿、御輿殿、御供所等を具備し、境内坪数5870坪(宮有地第一種)を有す。

明治神社誌料



美濃国INDEXへ        TOPページへ


認定こども園