中和神社
ちゅうかじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】久刀神社 美作国 大庭郡鎮座
          (旧地)久那止荒魂神社

   【現社名】中和神社
   【住所】岡山県真庭市蒜山下和1946
       北緯35度15分50秒  東経133度46分33秒
   【祭神】久那止神
       (配祀)大己貴命 少彦名命
       (合祀)天忍穗耳命 天穗日命 天津彦根命 活津彦根命 熊野久須比命 多紀理比賣命
       狹依比賣命 多岐津比賣命 天照大神 別雷命 大國主命 大山咋命 速玉男命 黄泉事解男命
       八衢毘古命 八衢毘賣命 大年神 品陀和氣命 大山祇命 伊邪那美命 彌都波能賣命
       迦具土命 埴山姫命 金山彦命 瓊瓊杵尊 須佐男之命 味耜高彦根命 菅原神

   【例祭】10月9日 例祭
   【社格】
   【由緒】貞観6年(864)従五位上
       大正2年3月村名を以て社号となし中和神社と改称

   【関係氏族】
   【鎮座地】もとは植杉川の上流に鎮座
        何時の時代かに里宮として現在地に遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「久那止神社」「車戸大明神」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿・社務所

   【境内社】

かっては植杉川の上流に鎮座していたが、何時の時代かに里宮として現在地に移され、旧跡地は今では「久那止荒魂神社」が祀られている。
小惑星探査機「はやぶさ」の帰還にあたって霊験があったとのことで参拝者が多くなったとのこと。
道中安全の神としても信仰されている中和神社。入沢喜一宮司(44)は「はやぶさの帰還は関係者の努力のたまものだが、当神社の加護がいささかでも世界的な快挙に貢献できたのであれば、大変な光栄だ」と話した。


由緒

由緒略記
鎮座地 岡山県真庭郡中和村下和1946番地
御祭神 久那止神 大己貴命 少彦名命
合祀神 天忍穂耳命 天穂日之命 天津彦根命 活津彦根命 熊野久須比命 
多紀理比賣命 狭依比賣命 多岐津比賣命 天照大神 別雷命 大国主命 大山咋命 
速玉男命 黄泉事解男命 八衢毘古命 八衢毘売命 大年神 品陀和気命 大山祇命
伊邪那美命 弥都波能売命 迦具土命 埴山姫命 金山彦命 瓊瓊杵尊 須佐男之命  味鋤高彦根命 菅原神 
祭日 4月29日 祈年祭
   7月15日 牛馬祭
   10月9日 例祭
   11月23日 新嘗祭
御由緒 創建年月は不祥であるが、元禄4年編纂の「作陽誌」には「車戸神社在下和村此村氏神也、在一の茅岸頭近渉於下鍛冶屋云々」とあり上代においては植杉川の上流に鎮座ありしが何時の時代かに里宮として現在地に移され、旧跡地は今では「久那止荒魂神社」が祀られている。
「三代実録」には「貞観6年(864年)8月己巳美作国従五位下久止神授従五位上」とあり、又神祇志料には美作国八の宮とある式内社で、古くは久刀神社、久那止神社、或いは車戸大明神と称していたが明治44年12月村内各神社を合祀、大正2年3月村名を以て社号となし中和神社と改称今日に至っている。尚本殿中央に奉斎されている久那止神の、内宝殿には宝暦10年(1760年)3月備前国国府湊より久世まで水上にて運んだよしが墨書されている。
古くから「クルマドサン」の愛称で親しまれ、牛馬の守護神として崇敬ことに篤く、今尚山陰方面からの講参りが連綿として今日まで続いている。棟札によれば現在の本殿は明治4年の建築である。
主祭神の久那止神は伊邪那岐命が亡くなられた妻(伊邪那美命)を慕い給い死人の国を訪れられた時に、多数の魔神に追われ給うて急ぎ逃げ帰られた際に黄泉津平坂に於いて「ここよりこちらには来るなかれ」と、大きな岩にて道を塞ぎ給いし古事があり、この時の岩をつかさどり給うた神が即ち久那止神である。古来より牛馬守護の神としてはもとより、魔除け、厄除け、道中安全の神として信仰されている。
境内社 八幡神社 品陀別命 息長帯姫命 武内宿袮  
    稲荷神社 宇賀廼魂神
    豊櫛神社 豊磐窗命 櫛磐窗命

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




中和神社

由緒 当社の創建年月は不明であるが、伝承によれば永禄年間において本殿の造営は四百年に及ぶと伝えられている。元禄4年(1691年)編纂の「作陽誌」には「車戸神社在下和村此村氏也、在一ノ茅岸頭近渉於下鍛冶屋云々」とあり、占くは真庭市蒜山下和一ノ茅地区上杉上流に鎮座していたが、何時かの時代に現在の鎮座地に移されている。旧鎮座地には現在は奥宮として久那戸荒神社が祀られている。
「三代実録」には「貞観6年(864年)8月己巳美作国従五位下久刀神授従五位上」とあり、また「神祇志料」には美作八ノ宮とある。古くは久刀神社、久那止神社、或いは車戸大明神と称していた。明治4年(1871年)に本殿を新築し、明治44年(1911年)11月別所村の加茂神社、吉川村の山王社、一の茅の熊野神社、真加子の国司神社等を合祀し、大正2年(1913年)3月村名をもって社号とし中和神社と改称し現在に至っている。古くから「クルマドサン」の愛称で親しまれ、牛馬の守護神として崇敬され牛の像、絵馬等も奉納されている。 現在は牛馬の守神はもとより、魔除け、厄除け、道中安全の神として信仰されている。
ての他
内宝殿 当社の本殿中央に奉斎されている久那止神の内宝殿には宝暦10年(1760年)2月備前国国府湊より久世まで水上にてこの内、宝殿を運んだ由が墨書きされている。 鉾杉 当社の境内に五本の大杉があり内、本殿右側の三本は根本部分が合体し、内、二本の合体部分の目通り周囲は6.43mあり400年の樹齢を重ねた姿は圧巻で「鉾杉」と称され、旧中和村の象徴として平成16年(2004年)発行の記念誌の表紙にも使われている。
その他 また近年では小惑星探査機はやぶさの帰還困難に際し関係者が当社に参拝し、玉串等を管制室にお祀りされた。そのことがテレビ等で放送され各所から参拝者が訪れた。平成22年(2010年〕10月25日に、宇宙航空研究開発機構の小惑星探査機はやぶさの関係者が神恩感謝のお参りをされている。

岡山県神社庁真庭支部



中和神社

当社の創建年月は不祥であるが、元禄4年編纂の「作陽誌」には「車戸神社在下和村此村氏神也、在一の茅岸頭近渉於下鍛冶屋云々」とある。
 上代においては植杉川の上流に鎮座していたが何時の時代かに里宮として現在地に移され、旧跡地は今では「久那止荒魂神社」が祀られている。
 「三代実録」には「貞観6年(864))8月己巳美作国従五位下久止神授従五位上」とあり、又神祇志料には美作国八の宮とある式内社で、古くは久刀神社、久那止神社、或いは車戸大明神と称していた。
 明治44年12月村内各神社を合祀、大正2年3月村名を以て社号となし中和神社と改称今日に至っている。
 尚本殿中央に奉斎されている久那止神の、内宝殿には宝暦10年(1760)3月備前国国府湊より久世まで水上にて運んだことが墨書されている。
 古くから「くるまどさん」の愛称で親しまれ、牛馬の守護神として崇敬され、今尚山陰方面からの講参りが連綿として今日まで続いている。棟札によれば現在の本殿は明治4年の建築である。
 主祭神の久那止神は伊邪那岐命が、亡くなられた妻(伊邪那美命)を慕い給い死人の国を訪れられた時に、多数の魔神に追われて急ぎ逃げ帰られた際に黄泉津平坂に於いて「ここよりこちらには来るなかれ」と、大きな岩にて道を塞いだ古事があり、この時の岩をつかさどった神が即ち久那止神である。古来より牛馬守護の神としてはもとより、魔除け、厄除け、道中安全の神として信仰されている。

岡山県神社庁



美作国INDEXへ        TOPページへ



順悠社