社名の「広沢」は地名に拠つたものと考えられ、広沢川に沿い上流に向かつた登山道の途中、小川の西岸山中に鎮座する。 近世には広沢天神と称し、明治42年1月19日猿投神社への合祀願が出され、猿投神社境内に遷座されたが、その後再び、もとの広沢の地に復祀した。 鎮座地についての異説はない。 |
広沢神社(広沢天神) 猿投山西入口の広沢川に面した場所に鎮座し、学問と医薬を司る神として信仰のある少名彦命を祭神に祀っています。少名彦命は、出雲大社の祭神大国主命と共に国をつくり固めた神でもあります。 平安時代の延長5年(927)に編さんされた法律書「延喜式」に加茂郡七社の一つとして記されています。他に江戸時代の慶安2年(1649)の三河国神名帳にもその名がのっています。 猿投地域会議 社頭掲示板 |
廣澤神社 廣澤は比呂佐波と訓べし○祭神詳ならず○在所分明ならず、(廣澤村、また狭投村廣澤と云地あり、神社は廃亡す、) 神位 國内神名帳云、正五位下廣澤天神、 神社覈録 |