大膳職は、待賢門の西傍、大炊寮の東隣に在る、ここに鎮座した。 八神以外の座摩巫祭神・御門巫祭神・生島巫祭神、宮内省・大膳職・造酒司・主水司に坐す神が、東京奠都後も宮中に祀られたかどうかについては、「祭紀録」等には徴すべきものがないが、「神殿」の「天神地祇」中に祀られていると見るべきである(元掌典川出清彦氏教示)。 宮内省に属する大膳職で祀られていた神の1柱。大膳職は、天皇の食事を掌る内膳司と対をなす、臣下に対する饗膳を供する機関とされている。ただし、主食については大炊寮が掌っており、大膳職は副食・調味料などの調達・製造・調理・供給の部分を担当した。待賢門の西傍、大炊寮の東隣にあったという。 |
宮中三殿 神殿 旧神祇官八神殿の祭神と天神地祇を祀る。 明治に再興された神祇官(のち神祇省)は付属の神殿を創建し、天神地祇および古代の律令制での神祇官の八神殿で祀られた八神を祀った。八神殿の八神とは延喜式によると「神産日神・高御産日神・玉積産日神・生産日神・足産日神・大宮売神・御食津神・事代主神」とされる。神祇省の廃止に伴い、宮中に遷座して、神殿と改称した。 |
火雷神社 火雷は保乃伊加都知と訓べし、大膳職には、菓餅所火雷神一座とあり、○祭神明か也 伴信友云、三代実録に依るに、火雷は火霊の誤なるべし、と云り、連胤按るに、職式にも火雷とあれば今改めがたし、抑此火雷神、并大炊寮の齋火武主比命神、庭火皇神等みな、別に祭神のあるに非ず、職寮共に供御の料物を、専ら炊■すれば、其火を直に神と祭れるにて、更に軻遇突智とも、火産霊とも指るにはあらざるべし、此職寮共に竈神あり、是も古事記神代段に、奥津日子神、次奥津比売命、亦名大戸比売神、此者諸人以拝竈神者也、とある竈神を主とせるにはあらず、釜鼎を直に神と崇むる也けり、但し内膳司の平野竃神、忌火神、庭火神は、即ち鼎の名ときこえたり、 神位 三代實録、貞観元年正月27日甲申、奉授大膳職從五位下火雷神從五位上、(印本に説す、今古本に拠る、) 神社覈録 |