赤城神社は宇通遺跡付近から遷座したとする説がある。それ以前は、二宮赤城神社の地にあったという説もある。 赤城神社は@宇通遺跡にあったとする説、Aこれより20m ほど下った場所に、密教法具「繰」の鋳型(9 世紀後半)を出土した御殿遺跡があり、この御殿遺跡にあったとする説、B御殿遺跡に隣接する湯之口地区にも礎石建物の存在が知られており、そこは元三夜沢と通称されているところでこの地にあったとする説がある。 |
宇通遺跡 前橋市指定史跡 宇通遺跡 指定年月日 昭和57年9月1日 所在地 前橋市粕川町中之沢456 本遺跡は赤城山麓の標高600m地点にあり、昭和40年に起きた山火事で礎石建物跡が見つかり、群馬大学史学研究室で測量調査と一部の建物の発掘調査などが3ケ年にわたって行われた。その後、昭和59年から平成3年まで、粕川村教育委員会(当時)が遺跡の内容を明らかにするための発掘調査を行った。 これらの調査で、間口5間(13.8m)で奥行4間(11.6m)の大堂や、八角円堂、仏堂と思われる方3間同など16棟もの礎石建ち建物跡とともに50軒を越す竪穴住居群が確認されている。出土遺物には、金銅製の女神座像、金銅製の■■■、舶載陶磁器、瓦、緑釉陶器、灰釉陶器、須恵器などのほか多くの土師器類がある。 また、発掘調査では、9世紀後半代の遺物を出土した竪穴住居や11世紀後半の竪穴住居によって一部を壊された礎石建物が確認され、すべての遺構の上部には12世紀初頭の浅間山噴火時に降下した浅間B軽石(As−B)の堆積層が確認できた。さらには、礎石建物の中には、基壇を造成した段階で鍛冶遺構が営まれている建物跡があり、礎石建物が一時期に造営されてはいないことが明らかになった。 これらの発掘調査による所見や出土遺物から、本遺跡は9世紀後半から11世紀後半にかけて形成された平安時代後期の山岳仏教寺院跡であり、礎石建物は10世紀中に順次建てられ、11世紀には機能を喪失していたと考えられる。 前橋市教育委員会 社頭掲示板 |