甲波宿祢神社
かわすくねじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】甲波宿祢神社 上野国 群馬郡鎮座
          (旧地)甲波宿祢神社(旧地)

   【現社名】甲波宿祢神社
   【住所】群馬県渋川市川島1287
       北緯36度31分50秒,東経138度58分4秒
   【祭神】速秋津彦神 速秋津姫神
       (合祀)大山祇神 誉田別神 (配祀)大物主神 倉稻魂神 水波之売神
       度会延経『神名帳考證』賀表真稚命

   【例祭】10月9日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】宝亀2年9月19日創祀
       承和13年(846)8月従五位下「続日本後紀」
       嘉祥3年(850)12月官社
       貞観9年(867)6月10日従五位上
       同11年12月25日正五位下
       同18年4月10日正五位上
       元慶4年(880)5月15日従四位下
       天明3年(1783)7月淺間山噴火で流出
       同5年9月現社地再建
       寛政5年(1793)宗源宣旨下賜
       明治13年5月郷社
       同42年2月神饌幣帛料供進神社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】もとは吾妻川のほとりに鎭座
        天明3年(1783)7月淺間山噴火で流出
        同5年9月現社地に再建

   【祭祀対象】吾妻川
   【祭祀】
   【別当寺】光明寺
   【社殿】本殿流造銅板葺
       幣殿・拝殿・神樂殿・手水舎・社務所

   【境内社】

吾妻川に沿つて鎮座し、川の信仰が認められることから、「甲波」は川、「宿禰」は「直根」で、川の本流を意味するものと思われる。
上流より箱島・祖母島・川島(当社)とほぼ等間隔に「島」のつく地に甲波宿祢神社の論社が鎭座している。大和吉野の丹生川上神社のように上中下の三座並んでいた神社の可能性もある。
この地は大豪族が存在した地とは考え難い。川を神格化し、国司らによつて祀られた神社と考えられる。
現在の社地にはかって諏訪神社があり、天明3年(1783)の罹災により、諏訪神社の地へ移座したものと思われる。旧鎭座地には標石が建ち、近くに観音堂がある。


甲波宿禰神社

ここ甲波宿禰神社は、上野国十二社の「四の宮」として古くから崇敬の篤かった神社です。
 祭神は、速秋津彦命・速秋津姫命で、多くの神社が山の神を祭っているのに対し、この社は川の神を祭った全国でも数少ない珍しい神社として知られ、人々の罪やけがれを呑み去る神として、古くから多くの人々に崇拝されています。

社頭掲示板



甲波宿禰神社

市指定重要無形文化財
川島の獅子舞
指定年月日 昭和47年10月20日
渋川市川島1287番地
この獅子舞は、甲波宿祢神社境内にある諏訪神社の例祭に奉納され、悪魔払いの神事として、氏子の無病息災を祈願していた。
鹿島流といわれる一人立ち獅子で、雄獅子・雌獅子・子獅子・天狗・おかめ・棒術師・笛師・謡方によって構成されている。
舞は天明3年(1783)の浅間山噴火の災害により中断され、天保年間の頃より再興されて以来、代々氏子の長男に受けつがれ、現在は川島獅子舞保存会が甲波宿祢神社の秋季例祭に奉納している。
渋川市教育委員会

社頭掲示板



甲波宿禰神社

市指定重要文化財
甲波宿祢神社の算額
指定年月日 昭和50年1月30日
渋川市川島1287番地
この算額は、川島の甲波宿祢神社の拝殿の中に掲げられていて、額の大きさは縦80cm・横190cm・厚さ8cmである。
利根郡片品村出身の千明慶悦という和算家が渋川・北群馬・利根及び吾妻の弟子たち六十余人の協力を得て、安政3年(1856)に奉納したものである。算額の内容は、直角三角形の底辺の長さを求めるもので、自問自答し、その解答を付ける形式をとっている。
和算の問題としては比較的簡単なものであるが問題を解くのに代数を使っている。
甲波宿祢神社の算額は、この地域にも和算研究の一団がいたことを示すよい資料である。
渋川市教育委員会

社頭掲示板



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