堅真音神社
かたまじんじゃ
鳴神社 境内社
所在地 社名















   【延喜式神名帳】堅真音神社 紀伊国 名草郡鎮座
          (本社)鳴神社
          (旧地)堅真音神社「旧地」

   【現社名】堅真音神社【鳴神社境内社】
   【住所】和歌山県和歌山市鳴神1089
       北緯34度13分40秒、東経135度12分41秒
   【祭神】神吾田鹿葦津姫命
   【例祭】3月5日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】由緒不詳
       貞観元年(859)5月26日辞意五位上
       貞観7年(865)正月17日列官社
       貞観8年(866)閏3月13日従四位下
       享保9年(1724)閏4月10日鳴神社神主へ御預
       明治7年4月村社
       明治40年10月22日鳴神社に合併

   【関係氏族】
   【鎮座地】元は鳴神山の麓村の丑方七町許にあった
        明治40年10月22日鳴神社に合併

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       

   【境内社】

「本国神名帳」には「正一位有馬音大神社、社殿今廃し碑を建て堅眞音神享保甲辰の八字を刻む」と記されている。
式内社香都知神社と式内社堅真音神社は一棟に併せ祀られており向かって右が香都知神社、左が堅真音神社。


三摂社由緒

鳴神社境内
三摂社由緒
香都知(かづち)神社 (俗称逆松さん)
祭神は軻遇突知命(かぐつちのみこと)
境内東端の社殿に鎭座する。
もと鳴神社の東北200m御船ノ芝にあったが明治40年10月鳴神社境内に合祀された。
堅眞音神社(かたまおと)
祭神は神吾田鹿葦津姫命(かむあたしかあしつひめのみこと)
境内東端の社殿に香都知神社と並んで鎭座する。
もと鳴神社の東北300m鳴神惣垣内にあったが明治40年10月鳴神社境内に合祀された。
鳴武神社(なるたけ)(別名壼の御前という)
鳴神社南向側にある。
祭神の鳴武大明神は五世紀ごろ朝鮮百済の国から紀伊国に渡来し始めて酒造技術を伝えた百済国耆閣大王の第四王女である。
もとは神社であったがいまは石祠が建てられ祀られている。同所には百済の国から持ってきた酒壼七箇が埋納されているといわれる。

社頭掲示板



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