『紀伊国続風土記』に、
鳴神社の東二町許にあり社今廃して石を建て「香都知神慶安庚寅」の八字を彫む、社地或は御船松の芝といへり、北の方一町許に、御供井あり
と記されている。 式内社香都知神社と式内社堅真音神社は一棟に併せ祀られており向かって右が香都知神社、左が堅真音神社。 |
三摂社由緒 鳴神社境内 三摂社由緒 香都知(かづち)神社 (俗称逆松さん) 祭神は軻遇突知命(かぐつちのみこと) 境内東端の社殿に鎭座する。 もと鳴神社の東北200m御船ノ芝にあったが明治40年10月鳴神社境内に合祀された。 堅眞音神社(かたまおと) 祭神は神吾田鹿葦津姫命(かむあたしかあしつひめのみこと) 境内東端の社殿に香都知神社と並んで鎭座する。 もと鳴神社の東北300m鳴神惣垣内にあったが明治40年10月鳴神社境内に合祀された。 鳴武神社(なるたけ)(別名壼の御前という) 鳴神社南向側にある。 祭神の鳴武大明神は五世紀ごろ朝鮮百済の国から紀伊国に渡来し始めて酒造技術を伝えた百済国耆閣大王の第四王女である。 もとは神社であったがいまは石祠が建てられ祀られている。同所には百済の国から持ってきた酒壼七箇が埋納されているといわれる。 社頭掲示板 |