街中の平地に鎮座する。 当社は若江氏の氏神を祀るとも思えるが、若江氏はこの地に存在したかは不詳(若江は単なる地名という)。「鏡」から若江鏡神社は天火明命を祀る神社であつて、鏡作に関係する氏族の氏神ではなかつたかと考えることができる。 中世若江城城主畠山政長より三好左京大夫源義継までの代々の城主の崇敬するところであった。 平安時代に石清水八幡宮領の若江莊がこの地域にあつたことから八幡神を祀るようになり、元禄ごろには若江鏡神社というとともに、塚本神社という社名でも呼ばれたようである。 由緒書に示されている方位図によれば、当社の本殿は、真正面に春分秋分に生駒山系の山から登る太陽を望み、南に30度振った方位に冬至の日の出を望む地に立地するとされ、そこから、当社は季節の節目である春分秋分の朝、昇る太陽を正面に拝する日読みの聖地であるとする。 |
若江鏡神社 当社は東大阪市若江南町2丁目3番9号に鎮座し、境内地は、約二千坪を有します。延喜式内社でありますが、創立年代は不詳であります。しかし、文徳実録等の古書の斎衡元年(854)卯朔丙辰に「河内之国大雷火明之神従五依下」等記されてることから見て、相当な古社であると言えます。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
若江鏡神社 【由緒】 当社は、東大阪市若江南町2丁目3番9号に鎮座し、境内地は約二千坪を有します。 延喜式内の古社でありますが、創建年代は不詳です。 しかし、「文徳実録」(六国史)の斉衡元年(854年)卯朔丙辰に『河内之国大雷火明之神従五位下』と記されていることからも、少なくとも1200年近くはこの地に鎮座している、相当な古社であるといえます。 神社及び数多くの宝物は、大阪夏の陣で兵火にあい焼失しました。 若江城城主畠山政長より三好左京大夫源義継までの代々の城主の崇敬するところとなり、神饌田の寄進までされたり、寛永年間は公儀の費用を持って修復がなされていたようです。 明治5年に郷社に列し、同41年1月神饌幣帛料供進の指定にもなりました。 当社の氏子地域は、現在東大阪市若江南町・東町・本町・北町・西新町となっていますが、明治の中頃までは、若江南・若江北・西郡・友井・近江堂・上小阪・下小阪・宝持・東岩田・西岩田・菱江新田等、十二地区の郷社でした。 【社殿】 当社ご本殿は、大阪夏の陣にて焼失し、現在のものは文政11年(1828年)に再建されたものです。 三間社流造で亀腹上に建てられており、文化、文政期の社殿建築の特色を示すものとして貴重なものとなっております。 即ち、一間社流造2棟を中央に相殿を入れて連結しためずらしい遺構であり、 昭和43年10月29日東大阪市文化財保護規定により、有形文化財に指定されました。 【奇石】 雷の手形石 …当社本殿前に、「雷の手形石」という奇石があります。 長さ三尺、高さ地上に現れているもの6寸余、周囲を玉垣にて囲まれております。 本殿正面の中心にあることから、大昔の祭祀の跡か、大事な物を埋めてあるのかと考えられています。 しかし、この石について面白い話があります。 〜神功皇后の御世、雷が誤ってご神前に落ち、神様の怒りに触れ天上に帰れなくなりました。そこで、二度と落ちない約束の為に、手形を神前の石に残し、深く謝りましたので、許しを頂き天に帰ったと言うことです。 それ以来、この若江の村には、雷が落ちて被害が出ることがないと言われております。〜 公式HP |
市指定有形文化財 若江鏡神社本殿 若江鏡神社は、平安時代の記録『延喜式』にのせられている古社のひとつで、大雷大神・足仲彦命息長足姫命の三神をまつっています。 創建の年月は不明ですが、『文徳実録』の斉衡元年(854)の4月の条には、すでに『授河内国大雷火明命従五位下』と記され、当社が従五位の社格を賜ったことがわかります。 『延喜式神名帳』には、従三位と記載され、若江城の時代に畠山氏が大いに崇敬したといわれています。 本殿の奥にある『鏡塚』は、鎌倉時代の石塔の一部が残されており、『神功皇后が三韓より凱旋のとき、鏡を埋めた所』と伝えています。 本殿は、銅板葺き三間社流造りですが、実際は一間社流造りの社殿を二棟つないだもので、中の間は板壁で囲まれた相殿となり、御神体はまつられていません。 建物は、文政11年(1828)に再建されたもので、社殿にかけられていた『斗帳』二帳とともに、貴重な江戸時代の社殿建築として、昭和49年3月25日に市の有形文化財に指定されています。 また、当社には元禄11年(1699)、雨乞いのために奉納された『大般若経600巻』が残されていて、同じく市の文化財に指定されています。 平成6年12月 東大阪市 社頭掲示板 |
市指定文化財 若江鏡神社本殿 一棟 付 斗帳二帳 所在地 東大阪市若江南町2−3−9 指定年月 昭和49年3月25日 東大阪市教育委員会 若江鏡神社は、平安塒代の記録『延喜式』にのせられている古社の一つで、大雷大神・足仲彦命・息長足姫命の三神を祀っています。『文徳実録』の斉衡元年(854年)4月条には「授河内国大雷火明命従五位下」と記されています。本殿は、銅板葺三間社流造りですが、実際は、一間社流造を二棟つないだもので、中の間は板壁で囲まれた相殿となり御神体は祀られていません。本殿は文政11年(1828年)に再建されたものと考えられます。なお、当社には、市指定文化財として、大般若経六百巻もあります。 昭和55年1月12日 東大阪ライオンズクラブ 社頭掲示板 |
郷社 若江鏡神社 祭神 足仲彦命 息長帯姫命 一説祭神天火明命なりとするものあり、そは文徳実録叙位の條に大雷火明神とあるによるれものなるべし、亦以て参考とするに足る、創祀年代詳ならす、文徳天皇齊衡元年4月丙辰從五位下を授け奉り(文徳実録)、醍醐天皇延喜の制小社に列す、若江郡二十二座の一なり(延喜式)、其後の沿革詳ならず、上若江、下若江両村の産土神たり(河内名所図会)、明治8年郷社に列す、明治29年若江郡を廃して中河内郡に合す、境内1400余坪(官有地第一種)社殿は本殿、拝殿其他廊下、神輿舎、御祓殿。御饌所、宝蔵等の建物を備へ、結構荘厳を樋め、松林鬱蒼としで風致を添ぶ、社前に奇石あり、雷神石といふ。 明治神社誌料 |
若江鏡神社 若江は郡名に同じ、鏡は加々美と訓べし、和名鈔、(容飾具)鏡、(仮字上の如し)○祭神詳ならず〇若江村に在す、(河内志、同名所図会)、例祭8月11日、 神社覈録 |