延喜式神名帳の記載方法からして春日戸社坐御子神社は春日戸社の域内にある御子神社と考えるのが普通であろう。 由緒等不詳である。 江戸時代に高安郡山畑村の神明社は、その祭りを高座祭と称しているので、これが春日戸社坐御子神社ではないかとされた。 山畑村の神明社はもと同村字尻屋にあつたが、明治5年同村の佐麻多度神社に合祀され、その境内末社となつた。 |
佐麻多度神社 式内社で当地山畑の産土である。祭神は不詳。旧社地は100m上の扇状地の谷口天神山にあったが、明治31(1898)年現地へ移った。 山畑神社はこの社の末社で春日御子大明神なり。敷地は東西7m南北10m有り、この付近から素焼きの陶棺が出土、今は東京博物館にある。 境内に力石(160kg)があり、明治初期にはこの石をもちあげて力比べを楽しんだ。 八尾市教育委員会 社頭石碑 |
春日戸社坐御子神社 春日戸は加須賀倍と訓べし、御子は假字也、○祭神分明ならず○高座神社相殿歟、(河内志、在所未詳といへるはいかが) 神社覈録 |