融通念仏宗の宝積寺の南隣に鎮座している。 神社の創立の事情、その他の由緒はわからない。 また、中世の状況はよくわからない。 近世は山畑村の天神社といつた。白華山観音院(融通念佛宗、のち禅宗黄檗派)という宮寺があつた。 江戸時代は天神社といって、現在地より100mほど上、高安山中腹の谷口天神山にあった白華観音院の寺領内にあった。明治の神仏分離で、宮寺の観音院は廃寺となり、社は佐麻多度神社として明治5年村社となつた。その時、天神社の祭神を祀るため天満宮をつくり、境内末社とした。現在ある天満宮の社殿は、大正元年、北高安の水越の都夫久美神社の社殿を譲り受けたものである。 鎮座地が村から離れていて不便のため、明治32年現在地へ移転した。 山畑地区はもと神立の玉祖神社の氏子であつた。玉祖神社に対しては氏子、佐麻多度神社や山畑神社に対しては信徒であつた。佐麻多度神社は地区内の神社、正式の氏神は高安十一カ村の氏神である玉祖神社であつた。 ところが、明治30年代の後半に、夏祭りの渡御の時にいざこざがあり、山畑地区は玉祖神社の氏子から離れることになつた。明治40年、他村の神社は玉祖神社へ合祀されたが、山畑の佐麻多度神社は合併をのがれた。 |
佐麻多度神社 大日本史によれば高安郡山畑(現山畑)東方天神山通称水垂に白華観音院と称す宮寺ありてこの寺領内に鎭座せしとあり。年代は詳ではないが約一千四百年前、大和時代と言い伝えられている。当時神宮と共に神仏合祀にて祭祀の奉仕を司りしが、明治5年、神仏分離令にて寺は廃絶し佐麻多度神社は村社に列し、同年4月山畑神社と合祀。明治32年6月、現在地に遷座された。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
佐麻多度神社 式内社で当地山畑の産土である。祭神は不詳。旧社地は100m上の扇状地の谷口天神山にあったが、明治31(1898)年現地へ移った。 山畑神社はこの社の末社で春日御子大明神なり。敷地は東西7m南北10m有り、この付近から素焼きの陶棺が出土、今は東京博物館にある。 境内に力石(160kg)があり、明治初期にはこの石をもちあげて力比べを楽しんだ。 八尾市教育委員会 社頭石碑 |
佐麻多度神社 佐麻多度は假字也○祭神詳ならず○山畑村に在す、(河内志、同名所図会)、 神社覈録 |