山頂は巨岩塁々としていて、鐸比古神社の旧址と伝える。一方、この山頂より6〜70m東南へ下がつたところに、また岩石の露出したところがある。周囲30間、広さ44坪で、字姫山といっている。昔から土地の人は比売御前と言っていた。ここが鐸比売神社の旧社といわれているところである。 |
高尾山山頂遺跡 一きわ高い高尾山(277.8m)山頂に大きな岩塊が見え威容なこの形に圧倒されます。この岩山は山麓の式内社鐸比古・鐸比売神社の旧地で現在も鐸比古の小祠とその南の谷に巨岩があって鐸比売命が、疫病治癒や降雨・祈願などを対象にこの地域の祖神として祀られています。 山頂背後の斜面地には広い範囲にわたって弥生時代後期の土器片や石器類が散布する場所があり、大正4年、山頂から南へ続く尾根から、弥生時代前期から中期にかけての銅鏡(多錨細文鏡)が出土しています。 山麓一帯には縄文時代から始まる大県遺跡等の集落跡群があり、古代、歴史時代から現在まで富裕な地域として栄え、当遺跡とのつながりが考えられます。 この時期、中国の史書「魏志」に倭国大乱が永く続いたと記されていますが、当遺跡は、河内潟や河内平野に住む人達の生活や動きが一望できる位置にあり、どのような役割を果したのでしょうか。この遺跡は、まだ調査が行われていませんが、遺跡の規模や性格など多方面から検討が必要な遺跡と言えます。 2001年3月 柏原市教育委員会 社頭掲示板 |