玉諸神社の北東600mの小倉山中腹に鎮座する。 この地が旧鎮座地とする。 慈眼院の横の細い道(軽自動車がやっと)を300mも行くと右手山の中腹に猪防止用の柵が見える、その柵の奥300mに鎮座している。 本殿の地下に高さ七尺余、周り六尺八寸ばかりの水晶があって御神体とされていた。(明治初年に盗難にあって、今は存在しない) |
玉宮大明神 当地は、往古より「玉の井の郷」と称し倭名抄に東郡の郷名となる。とあり更に社中に玉の井の云う池あり郷名の起る所是なりとある如く近隣の里に先駆けで展けた土地柄である。 当社は玉宮大明神と称し鎮座の年代は不詳であるが社記によれば、往古より竹森村及び福生里村両村の鎮守にて御代々様御朱叩御黒印頂戴したとあり、更には相伝延喜式内社として載つておりその祭神は天羽明玉の命で御身体は水昌の玉石で高さ七尺余、上六角、大きさ六尺八寸ある。 本殿は記録によれば又甲斐源氏の祖新羅三郎義光造営以来幾世代に旦り造営言々と由結深き社殿であったがその老朽化に伴い、昭和61年及び昭和62年にかけて源型そのまゝに改築したものである。 社頭掲示板 |