玉諸神社
たまもろじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】玉諸神社 甲斐国 山梨郡鎮座
          (奥宮)玉諸神社(奥宮)

   【現社名】玉諸神社
   【住所】山梨県甲州市塩山竹森 3048
       北緯35度43分59秒,東経138度44分42秒
   【祭神】天羽明玉命
       明細帳天明玉命
       『名勝志』玉屋命
       『国志』『叢記』天羽明玉命

   【例祭】10月14日 例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】創立年月不詳
       文安元年(1444)武田信重詠歌を奉納

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】水晶
   【祭祀】江戸時代は「玉室明神」「玉宮明神」と称していた
   【社殿】本殿流造
       拝殿・神門・手水舎

   【境内社】

玉宮小学校の北に隣接して鎮座する。
扇山(別名竹森山、水晶山)中腹にある奥宮本殿の地下に高さ七尺余、周り六尺八寸ばかりの水晶があって御神体とされていた。(明治初年に盗難にあって、今は存在しない)


玉諸神社

当社は、延喜式内社 玉諸神社と称し、その創建勧請の年代は詳かではないが、祭神は天羽明玉命(天の岩戸の変の時、真榊の枝にかけた 八坂瓊五百箇御統玉を造った神である)。
 社記(天平18年宮司綱蔵式部正記)によれば
 「当社は、往古より、当地の鎮守として、代々御朱印、御墨付を頂戴し 醍醐天皇延長5年延喜式神名簿に登録され、御身体は水晶の玉石で、高さ七尺余 上六角、大さ六尺八寸余りあり、甲斐源氏の祖 新羅三郎義光公造営以来 幾代かに亘り造営 言々 以来地名の由来 神事等につき記録されている。代表的な神事として11月14日(現在は10月14日)鳥乞の神事が現在も伝承されている又社記には武田信重の次の二首が記されている。
 神垣にかゞやく玉の光をぞ身の行末かけてたのまん
 あとたれし神の恵みも世にしるく玉の光の数もそへゆく
 なお 竹森山(通称水晶山)中腹に奥の宮玉宮大明神が祀られている。
   平成元年10月14日
         玉諸神社総代会

社頭掲示板



玉諸神社

神殿に高さ七尺余、周囲六尺八寸許りの水晶を祀ってあり、徳川氏の頃には鳥乞の神事を行った。申の刻に白鳥来りて供物を哺み去るを見て、明年の豊凶、物価の騰落を卜したと伝へられてゐる。

山梨県神社庁



玉諸神社

山梨県塩山市竹森。旧郷社。祭神は天明玉命で玉室大明神とも称し、神体は高さ約2.2m、周囲約1.8mの自生した水晶である。『延喜式神名帳』所載の玉諸神社については古来国玉と竹森の両説がある

神社辞典



玉諸神社

玉諸は多麻毛呂と訓べし○祭神在所等詳ならず
甲斐名勝志云、竹森村玉室明神、祭神玉屋命也、(叢記云、天羽国玉命也、)相傳延喜式所載玉諸神社也、社壇の中に大なる水精あり、周廻五尺許高七尺許、地中より出たり、社中に水精数多あり、傳聞陸奥國金華山に大なる水精あり、高十余丈、然れども色黒しと云、其水精の大なるは、此社より大なるはなしと云傳ふ、』又云、國玉村国玉明神、(三宮と称す)祭神大國魂神也、(参考亦同)相伝延喜式所載玉諸神社也、往昔酒折の御室山に鎮坐ありしを、何れの頃か此地に遷し祭る、今御室山に玉諸明神の小祠あり、』蓮胤云、両説未執れかしらず、

神社覈録



郷社 玉諸神社

祭神 天明玉命
創立年代詳ならざれども、廷喜式に山梨郡九座(並小)とある中の一座なる玉諸神社是れなり「今竹森村に在りて玉室大明神といふ、神殿に地中より生ひ出たる径六尺八寸の白玉あり、祀つて以て神体とす、凡十一月甲酉の日、鳥乞神事を行ふ、社中に水精数多あり、傳へ云ふ、陸奥國金華山に大なる水精あり、然れども色黒し、其水精の大なるは此社より大なるはなしと、(神祇志料神社覈録)又「玉諸神社、今云竹森村玉太明神是也、登城入彦命孫御諸別命、土佐国天石門別安國玉主神社、萬葉四云玉主(タマモリ)」(神名帳考証)とも見え、現に竹森福生両村の産土神たり、後冷泉天皇の康平6年癸卯新羅三郎義光、及文安元甲子年武田刑部太輔信重、及後孫昌昭社造営の梁牌あり、降つて徳川氏に至りても、黒印状を以て社領高一石一斗余の寄附あり、更に慶安中徳川家光朱印状に改め社領二石余を寄附せり、(社記、甲斐国志、甲斐叢記、同名勝記)霜月甲酉の日社中二所に神幸す、之れを鳥乞神事と云ふ、申の刻に至り白鳥飛び来つて、供御を哺み去る、土人之れを見て來歳の豊無物価の貴賤を占ふと云ふ、武田の歌とて社記に録せるあり、
「神垣にかがやく國の光をぞ身の行くすゑにかけて頼まん」
「あとたれし神の恵もよにしるく國の光のかずもそひゆく」
又寳物としては、武田信重の奉納に係る太刀一口を藏せり、寛永2年11月社殿再営明治3年社領を上地し。同乙未年3月郷社に列す。
社殿は本殿、拝殿、渡殿等を有し、境内608坪(官有地第一種)にして風色絶佳なり。

明治神社誌料



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