仁寿3年(853)3月天台宗智証大師により大和国より勧請した鎮守社という。 また「年代不詳の時代に黄金桜の大樹を神木として祀りはじめた」ともいう。 旧社地は高原といい、金峰山東登山道の御料林内にあり、往古の石積や礎石、古代文字を刻む石碑などが残されている。 |
由緒 大字杣口にあり、地名を小倉山米沢という。金桜神社は金峰山の里宮にて古くは大社なりと伝う。大国主命、少彦名命を祭神とし、蔵王権現および小守勝手の両祠を併祀す。神社の創立は明らかではないが、社記によると、仁寿3年(853)3月天台宗智証大師により大和国より勧請した鎮守社という、旧社地は高原といい、金峰山東登山道の御料林内にあり、往古の石積や礎石、古代文字を刻む石碑などが残されている。町指定の史跡である。 平安以降は山岳信仰と密教の修験道場の聖地とされ、甲斐国志に「此所ヨリ南方富士路黒駒ニ達スルヲ道者海道ト云フ」と記されている。現在の社地は正徳2年(1712)に遷座されたものである。本殿は一間社唐破風付向拝にて屋根は銅板葺入母屋造りで箱棟に千木をのせる。身舎は円柱にて前部と後部に分かれ、正面に開扉がある。高欄付縁を四方にめぐらし、木造彫刻の狗犬は古く、その伝説が残されている。 神社の例祭は毎年4月11日に行われ、神輿番は宮本の(杣口、大室、山本)(城古寺、請地)(隼)(窪平、替地、堀ノ内、琴川)(千野々宮)の五地区に分かれている。また、杣口の打ちはやしは上杣口、下杣口の二座があり、5年に一度の宮本当番のとき交互に行なわれる。町指定の民族文化財となり。祭礼は隼の地蔵尊まで末社21、行程28q御幸する 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
金桜神社 金桜蔵王権現神鏡 町指定文化財 金桜神社は仁寿3年(831)大和国より勧請す。御神体の神鏡は青銅で直径35.4cmの円形で右手右足を上げ左手に印を結び山岳信仰の厳しさを表す。 昭和53年3月31日 牧丘町教育委員会 杣口の打ちはやし 昭和51年町指定無形文化財 金桜神社の例祭に行われる芸能で上杣口 大室)の二座がある。 例祭は4月11日で末社21社、行程28qをお幸するこの地方最大の祭りである。打ちはやしは神霊神事としてその神徳を高揚するもので、今は5年に一度の行事になっている。 構式は笛2名、添吹2名、太鼓4名後見介添からなり、曲目は三ツ拍子「狂い」「下り羽」となっている。 打ちはやしの創始は明らかでないが、麻カミシモの装束を寛延2年(1748)に新調している。それ以前に行われて厳粛な伝統行事である。 牧丘町教育委員会 社頭掲示板 |
金櫻神社 金櫻神社は金峰山の里宮にて古くは大社なりと云ふ。神社の創立は明らかではないが、社記によると、853(仁寿3)3月天台宗宗智証大師により大和国より勧請した鎮守社といふ。旧社地は高原といひ、金峰山東登山道の御料林内にあり、往古の石積や礎石、古代文字を刻む石碑などが残されてゐる。町指定の史跡なり。金櫻神社の社号は醍醐天皇延喜年間金櫻神社と御親筆の額面御下賜があって、これからこのやうに称されたと伝へられる。 山梨県神社庁 |
金桜神社(杣口) 大字杣口にあり、地名を小倉山米沢という。金桜神社は金峰山の里宮にて古くは大社なりと伝う。大国主命、少彦名命を祭神とし、蔵王権現および小守勝手の両祠を併祀す。神社の創立は明らかではないが、社記によると、仁寿3年(853)3月天台宗智証大師により大和国より勧請した鎮守社という。旧社地は高原といい、金峰山東登山道の御料林内にあり、往古の石積や礎石、古代文字を刻む石碑などが残されている、町指定の史跡である。 平成16年12月 牧丘町教育委員会 社頭掲示板 |
杣口打囃子 山梨市指定無形民俗文化財 杣口打囃子 管理者 杣口打はやし保存会 所在地 山梨市牧丘町杣ロ地内 昭和51年3月30日指定 杣口の金桜神社の例察に行われる民俗芸能て創始は明らかではありませんが、麻裃の装束を寛延元年(1748)に新調しており、それ以前から行われていると考えられます、上杣口及び下杣口(大室)の二座があります。 例祭は毎年4月11日に行われ、神社より末社二十一社、行程釣28Kmを御幸します、古くは毎年行っていましたが、現在は輪番第一区である宮本の杣口、大宮だけが五年に一度行っています。 山梨市教育委員会 社頭掲示板 |