日置神社のあった坂下の集落はもともと峠の登り口にあったが、昭和6年の大火以後に県道沿いに移った。 九谷ダム建設に際して集団で移住した。 日置神社も昭和60年9月、片谷神社(片谷)・小杉神社(小杉)・生水神社(生水)を合祀し、加美谷台一丁目に遷座。 |
坂下町 坂下町は往昔は付近一帯を日置谷と称し、その中心集落として栄え、延喜式内社日置神社が鎮座し、近郷十ヵ村の惣社として別名、砥倉明神、風ノ宮とも云われた。 往時は山中谷との交流は坂下峠より四十九院(しじゅうくいん)を経て山中、動橋(いぶりはし)方面への交通の要所であり、峠の下の集落として「坂下」の地名が生まれたといわれている。 以来幾変遷、今私たちは公共の利益を信じ、九谷ダム建設に協力して愛着尽きないこの地を去る。 由緒ある伝統と古い輝かしい歴史を偲び、祖先と多くの先人の労苦に感謝しながら、ふる里の山河は永久に栄えることを念じつゝ、その深い思いをこの碑に托す。 社頭石碑 |