近世に「砥倉の宮」「風の宮」と称し、近隣十ヶ村の惣社であった。 神社の境内を汚すと大風が起るといわれ、米商人が米価をつり上げるために侵入して来るので番人を置いて警戒した。この費用は藩から出ていたという。 明治初期には廃絶して社殿も存しなかったという。その後、坂下村の東側に日置神社として復興され、昭和62年には九谷ダム建設のため現在地に移された。 |
日置神社 延喜式内社 日置神社由来 坂下村に在り村社、天の押日の命を祀る。古は砥倉山麓に在り砥倉明神社。土俗十一面観音堂という。俗に風の宮とし、砥倉の宮とも称する。古は十ケ村の惣社なり。 風の宮とは、人若し境内を穢しなどせば大風忽ち吹き起り、不作なりと伝えしによる。 故に米商人など米価釣り上げを策し、この宮に来たりて悪戯をなし、神怒により暴風雨を起さしめんとする者あリ、為に往時は村の入口に番人を置きて警戒し、その費用は之を藩より下賜せられたりと。 (江沼志稿、江沼郡誌) 昭和60年10月8日、九谷ダム建設による水没のため、山中町加美谷台に遷座。 片谷社、小杉社、生水社とともに合祀される。 社頭掲示板 |
日置神社 創立年代不詳。式内社にして風の宮とも砥倉宮とも称す。往古同部落砥倉山の麓に有ったのを現社地に移転す 石川県神社庁 |