社名の由來は、所造天下大神大穴持命が八十神を平定した後、ここに宮居を定め、国土経営の端緒を開かれたという伝承のもとに、大穴持命に縁りある出雲臣・神戸臣等がこの地に大神奉齋の社を創建し、その御神地を定め、神戸を置いて大神の宮の御料を調進した故に、この大神の宮垣の御門と、その神戸とに因んで御門屋社と名付けたものであろう。 神社脊後の高九山に史蹟に指定されている松本古墳がある。延喜以前はこの古墳の上に社殿を設けていたが、後に現社地に遷という。 |
由緒 三屋神社由緒 当社は島根県飯石郡三刀屋町大字給下に御鎮座の式内社であって、出雲風土記に御門屋社として神祇官に在りと記された古社である。延喜式神名帳には三屋神社と記して郡内の筆頭に置かれ累代の祠官は常に幣頭を務めて来た家柄で当社が古来から上下の崇敬を受けて居たことを如実に示して居る。 社号の由来は所造天下大神大穴持命が八十神を出雲の青垣山の内に置かじと詔ふて追い払い給ふてから此処に宮居定め国土御経営の端緒を御開きになったのでその御魂が高天層に神留りましてから後出雲国造の祖先の出雲臣や神門臣等が此地に大神の御稜を営みまた神社を創建してその御神地を定め神戸を置いて大神の宮の御料を調進することとなったので社号を大神の宮垣の御門とその神戸とに因んで御門屋社と号けたものである。出雲国内に於て大神の神地と神戸が風土記撰上当時に置かれた場所は此の地のみで他に一ヶ所も無いのみならず神の御門と神戸とを社号とした神社が全国に他に一社もないことは特筆に値することである。 即ち風土記には「三屋郷 郡家の北東二十四里 所造天下大神の御門即ち此処に在り 故三刀矢と言ふ神亀3年字を三屋と改む 即ち正倉有り」と記されており大神の御門と謂ふのが神社の所在を示したことであってこの神社が存在して居るので御門郷と号くべきであるけれども此地には神社のみでなく神の御料に充てる為の田畑や山林などが定められそれに付属した民戸があったのでその御門の民戸のある郷と云ふ意味で御門屋郷と呼んで居たものである。当社はその郷中に坐す神社といふことを表す為に御門屋に坐す大穴持命神社として御門屋社と号けられ出雲国造の一族で神門郡の大領をして居た神門臣の祖先の伊我會然といふ人が当社の御門をその氏として神門氏と称して居たのでその一族が居た地方を後に神門郡と号けるやうになった。この郷は三刀屋市、給下村、伊萱、安田、尾崎、粟谷、殿河内、大谷、屋内、法師田、里坊等を併せて一郷として居たので当社の祠官は三刀屋神社祇園社屋内村飛石大明神法師田村延山大明神粟谷村吉備津神社の五社の神主幣頭を務め神祇官から風折烏帽子狩衣布斎服を許されて居たものである。 当社の背後の現在峯寺山と呼んで居る山が、風土記の伊我山であって伊我といふのは厳しいといふ意味を有し大神の御魂が御降りになるいかしき山として伊我山と号けられ、神門臣伊加會然の名前も伊我山の會根に因んだものである。彼等が大神の御祭りを行ふ時に契斎をした場所を伊我屋と呼び其処には風土記所載の井草社が在る。またこの伊我屋の在る場所を与會紀村と呼んで居たことも風土記に記されているが、この村の名は神門臣等が祓ひを行なう際に身を濯ぐ村という意味で号けられたものである。この伊我山は峯寺が創建されるまでは高丸と呼ばれていたがそれは大神の御魂を御迎えする御室山といふ意味であって今も毎月24日には付近の住民が参拝し近年までは厳寒の候でも裸参りが行なわれていた程の神名火山である。 (古墳) 当社所蔵の延喜の棟札の裏書きに大己貴命天下惣廟神明也云々とあるが昭和34年11月当社の裏山続き高丸山に一群の古墳を発見し37年8月発掘して調査が行なわれたところ古式古墳を裏付ける二つの粘土かく漢式六獣鏡ガラス玉管玉刀子鉄器かめ棺土師器弥生式祝部式の土器等が出土し雲南地方最古最大の前方後方墳で当時の貴族の御廟であるとして38年7月2日付をもって文化財として史蹟に指定されたのである。 三屋神社とこの古墳とは相互に裏付けられ三刀屋の地が出雲文化の発祥の地である事をいよいよ明らかにされることになった。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
三屋神社 三屋神社参拝案内 1.御祭神 大己貴命 相殿 素盞鳴尊 脚摩乳命 稲田姫命 手摩乳命 式内社 2.古棟札 延喜2年再建の棟札現存す 貞享2年の棟札(五代将軍徳川綱吉公) 此の年新建 本殿・拝殿・鳥居(現存) 3.由緒略記 当社は島根県飯石郡三刀屋町大宮給下宮谷に御鎮座の式内社であり、出雲風土記に御門屋社として神祇官に在りと記された古社である。古来から郡内の筆頭に置かれ上下の崇敬を受け、累代の祀官は常に幣頭を勤めてきた家柄である。社号の由来は所造天下大神大穴持命が八十神を出雲の青垣の内に置かじと詔うて追い払い給うてから此処に宮居を定め国土御経営の端緒を御開きになったので、その御魂が高天層に神留りましてから後出雲国造の祖先の出雲臣や神門臣等がこの地に大神の御陵を営み、また神社を創建してその御神地を定め神戸を置いて大神の宮の御料を調達することになったので、社号を大神の宮垣の御門としてその神戸とに因んで御門屋神社と号けたものである。出雲国内に置いて大神の神地と神戸が風土記撰上当時に置かれた場所はこの地のみで他に一カ所もないのみならず神の御門と神戸とを社号とした神社が全国に他には一社もない事は特記に値することであり、この地が出雲文化の発祥の地である事は明らかである。 4.祭典日 例祭 10月19日 祈年祭 4月15日 夏祭 7月19日 新嘗祭 12月2日 5.境内神社 祇園社 稲荷神社 6.建築物 本殿 大社造り 拝殿 入母屋肘木造り向拝破風造り 随神門 いづれも貞享二年の建築 7.境内面積 1,846平方メートル 当社の庭からの眺望は絶景にして給下、三刀屋、里方、山方の各平原を俯瞰し城名樋の山を指願し国土経営の国見山を社殿の背後に仰ぎ見ることができる。 8.宝物 棟札、古文書、稲田姫の手鏡(笑鏡)三十六歌仙(額) 三屋神社社務所 宮司 三戸恭宥 社頭掲示板 |
三屋神社 出雲国風土記に「御門屋社(みとやのやしろ)」、延喜式には「三屋神社(みとやじんじゃ)」として記されている古社です。 峯寺山(風土記にいう伊我山)の山腹にある大社造の本殿は、延喜の建立と伝えられていますが、現在の社殿は貞享2年(1685年)の再建とされています。 「三屋郷。郡家の東北二十四里なり。所造天下大神の御門、すなわち此の処にあり。故、三刀矢と云う。(神亀三年に、字を三屋と改む。)すなわち正倉あり。」と風土記にあるように、所造天下大神がここに宮居を定め、国土経営の端緒をお開きになったと伝えられています。 雲南市HP |