「雲陽誌」(1717)には、2〜3尺四方の岩穴が5つあった岩坪といい近くに2神を祀る岩坪明神があると記述されている。 |
岩坪 「出雲国風土記」(733)には、ここに須佐能袁命の御子、和加須西利比売が住んでおられて、そこへ大国主命が通ってこられた時、この谷川の水が岩面を滑らかに流れる様子を見て、「滑し盤石なるかも」と仰せられたので、この地方(神西・江南)を滑狭郷というようになった、と述べている。即ち郷名の発祥地は、此処、岩坪の地である。 また「雲陽誌」(1717)には、2〜3尺四方の岩穴が5つあった岩坪といい近くに2神を祀る岩坪明神(那売佐神社のこと)があると記述されている。 更に「出雲国式社考」には、この岩坪は、ふだんは砂を満たしているが、旱魃の祭、これを掘り出し雨乞いすれば忽ち雨が降るという伝説があることも記述されている。 一般に甌穴とは、急流の川床の岩面にできる鍋状の穴をいう。円い礫が穴の中に入って流水によりこれが回転し、永い間に岩面に大きなくぼみをつくったと考えられる。 この岩坪は、古い文献にもみられる貴重な天然記念物であり史跡である。 社頭掲示板 |