那売佐神社
なめさじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】那売佐神社 出雲国 神門郡鎮座
   【延喜式神名帳】同社坐和加須西利比売神社 出雲国 神門郡鎮座
          (合祀)和加須西利比売神社

   【現社名】那売佐神社
   【住所】島根県出雲市東神西町842
       北緯35度19分21秒  東経132度42分1秒
   【祭神】葦原醜男命
       (配祀)須勢理姫命 大物主神 (合祀)伊邪那岐命

   【例祭】4月23日 例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】天平5年(733)2月30日「奈売佐社」『出雲国風土記』
       貞応3年(1224)鶴ヶ岡八幡宮の分霊を勧請
       永禄5年(1562)「高倉郷社」と称
       貞享4年(1687)「高倉大明神」と称
       寛永8年(1711)「高倉大明神」と称
       明治5年郷社
       明治43年11月神西八幡宮を合併

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録は無い

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「高倉大明神」と称していた
   【社殿】本殿大社造変態栃葺
       幣殿・拝殿・社務所

   【境内社】神西八幡宮・稲荷神社・貴船神社(高岩)・貴船神社(井ノ内)

出雲国風土記の「奈売佐社」に相当する。
出雲国風土記には、「奈賣佐社」と「那賣佐社」とがあり、どちらかが当社・那賣佐神社で、もう一つが合祀されている和加須西利比賣神社にあたる。
郷名の起源になつた滑磐石は神社より東南約500mの川の中に在る高さ2m長さ10m余の集塊岩で、その上を漢水が流れ落ちていて、甌穴の如きものが五つある。これを「岩坪」といい、この周辺に「和加須世利比売」が坐ましたといわれる。
中世から近世にかけては神西八幡宮の陰に隠れ、江戸時代にも那売岐神社と神社側の棟札に記された程で、辛うじて命脈を保つていた。


那売佐神社

御祭神 葦原醜男命
須勢理姫命
 大国主命の又の名を葦原醜男命と申し上げその后神は須佐之男命の御子でこの里の岩坪で生誕せられたという須勢理姫命であります。
 紀元733年天平5年に編纂された出雲国風土記によれば御祭神御夫婦が仲睦しく岩坪の宮殿でお暮しになっていたとき、或る日社前の渓流が岩苔の上をなめらかに流れているのをご覧になって「滑し磐石なるかも」と仰せられた「まねしいわ」「が約って「なめさ」となり、この地方を滑狹郷と称するようになった記録があります。
 又これより約200年後の、延喜式神名帳に当社は神祇官に登録してある神門郡二十七座の内にあり、これを式内社といいます。
 享保年間の雲陽誌んいは高倉明神とあり高倉山に鎮座せられているところから通称「高倉さん」とも称し、明治5年には社格郷社に列せられるなど洵に由緒深い神社であります。

社頭掲示板



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